目次
砂漠の教室 I
砂漠の教室 II
イスラエル・スケッチI
ベドウィンの胡瓜畑
銀行で
雨の兵士
スバル
乗り合いタクシーの中で
鋼鉄《はがね》の思想
ヨセフの娘たち
イスラエル・スケッチII
影の住む部屋
悪夢のシュニツェル
オリエントの舌
――言語としての料理
オリエントの舌
――ハイファの台所
あかつきのハデラ病院
知らない指
おれさまのバス
建設班長
山岳の村
なぜヘブライ語だったのか
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イスラエル・スケッチII
あかつきのハデラ病院
ハデラ病院などへ行くはめになったのは、砂漠の教室にヴィールス性のものらしい病気が発生したからである。病気にかかった生徒のうちでも、デイヴィッドがいちばん重症で、ついに救急車で入院した。
夜の十一時頃、急に腹痛がして、続いてはげしい下痢と嘔吐が繰り返しあったので、わたしはホテルの受付けのおにいさんに病院に連絡してもらた。学校の人たちは夜は家へ帰ってしまうので、わたしたちは不親切なホテルのスタッフに頼るよりしかたない。夜中の二時頃だったから、受付けのおにいさんはロビーのソファに毛布をかぶって寝ていて、起こしたらブツブツいった。
町の診療所から医師がきてくれたが、彼が帰ったとたん、猛烈なふるえがきて、そのうえ下痢も嘔吐も止まらない。再びソファに寝ていたおにいさんを起こした。さっきの医師と連絡はついたが、「二度も往診できないね。救急車を呼んで病院に入れなさい」という答だった。
ナターニャの町には病院がないので、ハデラの町まで行かなければならない。ようやく救急車がきたころには、デイヴィッドはもう歩くこともできない状態だった。ハイウェイを走ってハデラに向うと、もう夜が明けてきた。ふるえはまだ止まらない。
病院に着くと、大あくびをしながら小柄な看護婦がボソボソと質問する。からだのあちこちをかいたり、水を呑みに行ったりして、一向にあわてる風もない。病人のほうは先刻の注射で唾液がぴたりと止まってしまったらしく、喉が焼けつくようになっている。すっかり弱ってしまって声もでない。当直の医師がくるまではなにもできない、といって看護婦はまたあくびをした。当番の医師は全然姿を現わさない。デイヴィッドは渇きのために少々気がおかしくなってしまった。
じりじりと待つうち、ようやく医師がきた。
「下痢と嘔吐がひどいそうだが、なぜそんな病気になったんだ?」という。
「なぜかわからないが、病気になったんだ」と答えたら、
「本人のおまえにわからないんじゃ、こっちはよけいわからない。とても治療できないや」なんていう。
わたしはカッとしてなにかいったらしい。医師は、マアマアというような身振りをした。地獄のような病院だ、とわたしは思った。今後は、ユダヤ人には立派な医師が多い、なんておまえらいうな! と思った。この医師は結局、なんかの注射を一本うてと、あくびする看護婦に命じて帰ってしまった。あくびする看護婦は大きな注射器をプスリと文字通り突き立てるようにして病人の尻に射して、病人がうめいたら、「これしきのことで!」と笑うのだった。
もう八時だった。午前四時に着いて、もう四時間も経過していた。昼間の勤務の人々がやってきて、病院全体がようやく動きはじめる。やさしい女医さんがデイヴィッドをみてくれて、少し楽になったようだ。わたしはベッドにもたれてぼうっとしていた。
そのわたしを手招きしてる人がいる。夜明けの病院にわたしたちが到着したときに床を洗っていた掃除のおばさんである。
「マダム、食べなくてはいけません。まいってしまいます」と彼女は英語とヘブライ語をまぜていった。
「ええ、でも食べる気もしないのですよ」と、わたしは英語でいったが、「英語はわからない」と彼女はヘブライ語で答えた。わたしはまだ習いはじめて二週間めのひどいヘブライ語で、「食べることはできないと思います」といった。
「食べなければいけません」と彼女はあくまでも主張するのだった。そして、ついてくるようにと。わたしは、では紅茶だけ、といって彼女のあとからついて行った。
そこは小さな台所のようなところで、急患室の隣にあった。彼女はお茶を入れてくれ、それから鍵のかかった戸棚を開けてパンを出した。
「食べなくてはいけません」と。
冷蔵庫からトマトとチーズも出した。
「食べなくてはいけません」と。
わたしはついに負けて、指でおしこんだって食べる、このひとの好意を無にすることはできないと思った。では、といって、パンとチーズをもらったら、涙が出てしまった。
わたしはヘブライ語はろくに話せない。彼女は英語はほとんどわからない。フランス語はできるか? という。ほんのすこしね、とわたしは答えた。ポルトガル語は? できません。イディッシュ語は? できません。この掃除のおばさんはフランス語とスペイン語とイディッシュ語とヘブライ語とわずかながら英語の五カ国語を喋るのだった。わたしとおばさんは英語とフランス語とヘブライ語とイディッシュ語の単語を混ぜて身の上話をしたのである。彼女はポーランドで生まれ、ブラジルに暮し、イスラエルにやってきたひとだった。根性の悪い医者とあくびするなげやりな看護婦にはじまったこの病院の悪夢から、わたしは救出された。たすけにきてくれたのはトントを従え白馬に乗ったローン・レンジャーではなくて、モップをもってあかつきの病院の床を洗う年老いた女性だったのである。
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