2016年10月1日(土)

きのうはからりと晴れて、新鮮な木星の香りが部屋まで入りこんで、むせかえるようでした。月が変わって、きょうは10月の始まりにはあまりふさわしくないどんよりとした空模様、気温も低めの東京です。

「水牛のように」を2016年10月号に更新しました。
更新のまえには届いた原稿をすべて開いて読みながら、掲載の順番を考えたりします。そのときはいつも、世界は言葉でつくられていくことを感じます。綴られた言葉を読むことで世界を見る。決まりきった毎日の生活のなかで起きる、ふだんと違うことに意識が向くことが多く、それらを書いたり、話したりしたくなります。自分がおどろいたことを人にも伝えたいわけですね。しかし、決まりきったことがらのほうが圧倒的に多いし、それでも毎日が同じわけではないことを思うと、自分ではそういうささいなことをきちんと書けるといいなあと思ったりします。何のためにそんなことを書くの? と問うてみても答えはないのですけれど。。。

きょうは新月で、そしてコーヒーの日でもあるのだそうです。それならばと、毎朝欠かさずに飲むコーヒーを午後にもひとりでもう一杯、楽しみました。八百万の神さまがたが不在のひと月でもありますね。

それではまた!(八巻美恵)

2016年9月1日(木)

異例のコースをたどった台風11号が過ぎてゆき、夏のしっぽが意外に長そうな気配の9月が始まりました。ラム酒をくぐらせた西瓜をたっぷりと食べおえて、次は葡萄だな、と思うちょうどそのような季節です。

「水牛のように」を2016年9月号に更新しました。
杉山洋一さんは毎年8月はたいてい日本にいるので、一度は会って呑んだり食べたりしながら話す機会をつくり、ついでに来られそうな水牛の執筆陣にも声をかけるのを楽しい恒例にしていました。が、今年はその時間がありませんでした。忙しすぎるのは今年かぎりにしてほしいものです。
「恥ずかしい」長谷部さんは新しく出る本のタイトルすら書いていませんが、1冊は『メモランダム』(河出書房新社 9/21)です。

夏の盛りに、はじめて夕食をともにした女性はいまや絶滅危惧種のヘビースモーカーでした。食事中にも席を立って、煙草を吸いに外に出ていくほど。雨上がりの帰り道で聞いたら、一日4箱くらい吸うとのことで、世の中の趨勢とは逆に、少しうらやましくなってしまいました。お酒も強くて、食後のマールはいっしょに飲みました。昔の映画を観ると、煙草とお酒はストーリーにもスクリーンにも魅力を添えるものだと感じることが多く、あの夜のひとときもそうした映画のなかのワン・シーンのようでもあったのでした。

それではまた。(八巻美恵)

2016年8月1日(月)

梅雨が明けて東京にも夏がきました。ことしは、風がとおればエアコンなしで耐えられる程度の、久しぶりに夏らしい暑さの夏です。夕立というには早い午後でしたから、スコールと呼ぶほうがふさわしい雷をともなう激しい雨がさきほど降って、空気が洗われたような午後です。

「水牛のように」を2016年8月号に更新しました。
ベストセラーそのものに罪はないにしても、世の中のたくさんの人が読んだり聞いたりするものなら、別に私は読まなくて聞かなくてももいいように思えます。時間は限られているのですから、それならば少数の人に読まれ聞かれてているものを選びたい。
この水牛もそうですが、自分が編集をしたり公開しているものもは、あまり多数の人に届かなくてもいいとどこかで考えています。必要な人がいれば、きっと探しだして読んでくれるはず。浴びるように降ってくる情報は受けとる側にとってはあまり関係のないものばかりで、自分がほんとうに求めているものはほとんどないと実感します。編集の仕事の場合には、情報を出す側ですから、具体的な数字を早急に出すことをまず求められるのですが、努力はするにしてもそう単純にはいきません。これも多くの編集者の実感だと思います。小さなものが自由にたくさん存在している世界がいいなと思っているうちに、多数決という民主主義の決めごとにもおおきな疑問を感じるようになってしまったこのごろです。さて、どうするか。

それではまた!(八巻美恵)