2023年3月1日(水)

東京はあたたかく穏やかな3月のはじまりです。原稿が届くのを待つあいだ、少し外を歩いてきました。いろんな種類のすみれやチューリップやラナンキュラスなど、短いあいだに、カラフルな春の花がそこここにあふれていて、ああ春だ、と思い知らされました。植物は複雑だけど、花はなぜかわかりやすく季節をおしえてくれますね。

「水牛のように」を2023年3月号に更新しました。
下窪俊哉さんが書いているように、発売中の岩波書店「思想」3月号に、福島亮さんの「水牛、小さなメディアの冒険者たち」という論文が掲載されています。水牛についてのこのような論考は、おそらくはじめてのことだと思います。1970年代から80年代の水牛を知る人も知らない人も、ぜひ読んでください。福島さんは当時はまだ存在以前(?)でしたが、存在してから、どこにどうひっかかったのか、水牛に興味を持ち、いまでは「水牛通信」を読む、というコーナーまで担当するようになりました。幸か不幸かはともかく、こういうことが「生きている世界」なのだと思います。福島さんはもうすぐパリから帰ってきますので、そのうち投稿が再開されるでしょう。楽しみに待っています。

それでは、来月もまた!(八巻美恵)

2023年2月1日(水)

きょうの東京は3月の気温だったようですが、午後になって外を歩くと北風が強く、とても3月とは思えない寒さでした。気温は温度計で測っただけの数値にすぎず、人間の体が感じるのは数値ではないことを思い知らされます。

「水牛のように」を2023年2月号に更新しました。
半年ぶりに斎藤真理子さんの「編み狂う」が帰ってきました。待っていてくださった人は多いと思います。お待たせしました。これからも続きますからね。商店街のカフェで編んでいる人には声をかけたくなるのかもしれません、ある種のちいさな解放区(斎藤さんによれば「劇場」)がそこにあるから。編み物は糸と針があればできるせいなのか、男性にも好まれていると思います。緻密に編む橋本治、おおざっぱに編む田川律、そして独身時代の津野海太郎も。最近読んだ『キャスリーンとフランク』(クリストファー・イシャウッド 横山貞子訳 新潮社 2022)では、フランクが戦場でだったかな、編み物をするところがあって、感銘を受けました。
この水牛は、だらだらと続けているにすぎないのですが、下窪俊哉さんの編集する『WSマガジン』はあきらかに水牛のなにかを継ぐもののようです。「小さな石を集め、投げ続けることに失敗も成功もない。ただ集め、投げるだけだ。」に共感します。続けてくださいね。
藤井貞和さんの詩集『よく聞きなさい、すぐにここを出るのです。』が読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞しました。不思議な藤井さんの詩を毎月読めるのは水牛のしあわせのひとつです。
篠原恒木さんが編集した片岡義男『僕は珈琲』には、めずらしく実名入りで私も登場しています。片岡さんとの楽しい時間はこれからも。

編み物好きだった田川律さんの訃報が届いて、田川さんとともに過ごしたあれこれをブログに書こうと思いましたが間に合わず。スミマセン、書きますので、しばしお待ちください。

それではまた!(八巻美恵)

2023年1月1日(日)

あけましておめでとうございます。
2023年がどのような年になるのか、あまりよいきざしは見えません。それでもこうして日一日と過ぎていき、新しい年が明けることには少しの明るさがあると感じます。きのうと同じきょうですが、ほんの少し、どこかが明るい。東京は光に満ちた午後です。

「水牛のように」を2023年1月号に更新しました。
植松眞人さんとイリナ・グリゴレさんがゴダールに触れています。イリナさんが大学の教員試験に落ちたことは、確かに彼女にとっては試練だったことでしょう。しかし、ほんとうに試されたのは彼女なのか大学なのか、そこは考えるべきところだと思います。力を持っている側ほど試されているとわたしはいつも感じています。その大学はイリナさんを失ったのですからね。
大学生のころ両親が焼津と静岡にあわせて3年ほど住んでいたので、学校が休みになると実家に行き、静岡から路線バスに乗って御前崎までよく行きました。終点で降りて少し歩くと、海岸に出ます。見渡す限りの海は自分の小ささを単純に思い出させてくれて、その小ささは悪いものではありませんでした。砂漠のように広い砂浜が広がり、反対側には岩場が広がっていて、いつも人はひとりもいないのでした。そう、白い灯台もありました。ただこの光景を一時間くらい見て、またバスに乗って帰ってくる。一日の過ごしかたとしては抜群によかった。しかしあの御前崎にいまは浜岡原発があるのだということを北村周一さんの短歌でいやがうえにも知らされました。2023年もやはりろくな年になりそうもありませんね。

とはいえ、今年も更新できて安堵の元旦です。来月も更新できますように!(八巻美恵)

2022年12月1日(木)

体は寒くなりたてが一番冷えますから朝夕冷える時や急に寒くなった時は手加減をせずにしっかり着込むのが吉です。と、漢方の人におしえてもらいました。寒くなりたての冬に、しっかり着込んであたたかく過ごすことができれば、とりあえず、明日は無事。

「水牛のように」を2022年12月1日号に更新しました。
12月10日(土)15時から、イリナ・グリゴレさんのトークがあります。お相手は寄藤文平さん。『優しい地獄』の装丁者です。
https://akishobo-event-221210.peatix.com/
イリナさんの書く日本語は連載の回をかさねるごとに流暢(?)になってきました。しかし彼女が書く日本語はそこなわれることなく、むしろ魅力を増していると思います。どんな言語であれ、ことばにスピリッツが宿っていれば、それは人々に伝わり広がっていくのだなと感じる2022年でした。

それでは、来年もまた更新できますように! 良い年をお迎えください、とのんきに言うのがためらわれる年末ですが。。。(八巻美恵)

2022年11月1日(火)

なぜか東京は曖昧な天候で過ごしやすい日々が続いています。しかし、明日がどうなるのかは誰にもわかりません。今夜は雨の予報です。

「水牛のように」を2022年11月1日号に更新しました。
編集作業のあいまに執筆者のみなさんの原稿から、ランダムに一節を書き抜いてみました。全員ではありません、これもランダム。短い断片を並べてみると、また別のおもしろさが出てきます。どれがだれが、と想像してみるのも楽しいかもしれませんよ。

「都市を歩くということは、時間旅行なのだ。」
「ちょうど20年前の10月。サダム・フセイン大統領の信任投票が行われ町中が沸き立っていた。サダム・フセインは100%の得票で信任されたのである。」
「本という形の彼を手元に置いて、折々に繰り返し読む(尋ねる)ことができる。」
「木の実。何といっても私にとっての王様はトチの実だ。クリよりも大きいようなつやつやした実が山道や公園や駐車場のわきに落ちているのを見ると、拾わずにはいられない。」
「じっと見ていると、男の子が同じように書棚の間から、こちらを見ていて、『薔薇販売人』と書かれた背表紙越しにこちらをのぞき込んでいるという風情だ。」
「やみやみなやみ/やみあがり」
「11月で休暇を取って、ピアノを弾いているとできなかったことをしたい。知らなかった音楽を見つけて演奏するのにも限界がある。」

コロナによる規制が緩和されたこともあって、遠くから訪ねてくれる友あり、ずっと延期していた会合あり、です。感染者の数というもの、どういう集計をしているのか不明ながら、増えている傾向です。自分でできる対策はしながら過ごしていくよりなさそうですね。生きものは動くからこそ生きているのですから。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年10月1日(土)

10月だというのに、昼間の東京は夏のような温度と湿度でした。盛りの金木犀の香りが似合わなかったけれど、夜になるとさすがに秋の気配がただよいます。来週後半からは寒くなると天気予報は告げています。

「水牛のように」を2022年10月1日号に更新しました。
コロナがいったいどうなっているのか、真相はわかりませんが、人々は移動するようになってきました。それぞれが自分の感覚を大事にして行動するよりなさそうですね。
今月15日に、八巻美恵『水牛のように』がhorobooksから発売になります。詳しい情報は平野公子さんの「ダイヤモンドの指輪」をごらんください。同じタイトルで、わたしも久しぶりにブログを書きました。horobooksは小さな出版社なので、この本はふつうの販売ルートには乗りません。ささやかな本ですが、ご興味があれば、horobooksのサイトからお求めくださるようお願いします。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年9月1日(木)

99年前の関東大震災を思い起こせというように、雷鳴が轟いている夕方、雨が降って、昼間の暑さから急激に涼しくなりました。9月と聞くと、秋だなと思ってしまいますが、今年の9月はどうなるのでしょうか。台風11号は見たことのない動きをしています。

「水牛のように」を2022年9月1日号に更新しました。
コロナウィルスもコロナワクチンと呼ばれているものも、依然としてわからないことだらけです。しかし感染するひとは増えて、しばらく前には知り合いの知り合いだったのが、知り合いにまでせまってきています。西大立目祥子さんの感染と看護と介護の報告を読んで、母と娘のお二人の回復に安堵したと同時に、人は見捨てられて生きているのだという実感を強く持ちました。酷暑の夏でも、これは冬の旅といえるのではないでしょうか。
イリナ・グリゴレさんのはじめての著書『優しい地獄』が出てひと月あまり。刊行を記念して、人類学者の奥野克巳さんとイリナさんとのトークイベントがあります。題して「オートエスノグラフィーの可能性」。明日、9月2日19時からです。楽しみですね。アーカイヴ配信もあるようです。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年8月1日(月)

きょうも暑いねえ、と言うのに飽きてきたのに、まだ八月がはじまったばかりです。四季がめぐる(はずの)ところで生きていれば、いまだけのこととしてガマンできるとは思いますが、それにしても、ここだけではなく、世界のいろんなところで暑さが極まっています。山火事も多いですね。

「水牛のように」を2022年8月1日号に更新しました。
初登場は音楽評論家の小沼純一さんです。といっても、小沼さんは詩人でもあり、三冊の詩集は「水牛の本棚」に収録されています。『し あわせ』『アルベルティーヌ・コンプレックス』『いと、はじまりの』 これらもぜひ読んでみてください。入力など、楽しく作業したことを何年ぶりかで思い出しました。
イリナ・ゴリゴレさんのはじめての著書『優しい地獄』は予定通り、7月末に無事発売となりました。これからの土台となるように、イリナさんの可能性がいくつも読みとれる本になったと思います。イリナさんと亜紀書房と水牛とで、ときには(嫌いな)zoomを使って話し合いながら作ったこの本を、イリナさんは「わたしの本」とは言わず、「わたしたちの本」と呼んでいます。イリナさんの日本語を大切にしたかったので、できるだけ彼女の書いたそのままにしました。水牛の連載とほぼ同じです。それでも、開放的なデジタルテキストからアナログの本になると、一冊としてとじられたことで、イリナさんの日本語の世界がより明確になったのではないか、とあらためて感じます。来月はじめには東京でのトークも予定されていますので、亜紀書房のサイトをチェックしてくださるようお願いします。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年7月1日(金)

こんなに暑い夏のはじまりはさすがに経験したことがありません。暑さや雨の少なさに加えてコロナ感染者数の増加も心配ですが、それでも日々は過ぎていきます。
タイの映像作家として有名なアピチャッポンは、あるインタビューのおしまいに「ただずっと何もしないでいるのがいいんだ。それがぼくのまわりの自然と、この現在とリンクしている」と言っています。考えるのではなく、何もしないで感じるのだ、と熱帯の人におしえられたような気がします。

「水牛のように」を2022年7月1日号に更新しました。
ここ一週間ほどの猛暑のせいか、今月はおやすみします、というメールが何通か届きました。しかたのないことです。杉山洋一さんやアサノタカオさんのように日記をつけている人はこういうときにはとりわけ強いと感じます。もっとも杉山さんはミラノにいるから、この暑さとは関係がなさそうですね。

さて、今月のビッグ・ニュース。7月21日にイリナ・グリゴレさんの本が出ます。『優しい地獄』というタイトルで亜紀書房から発売です。イリナさんと初めて会ったその日に、日本語による彼女の本を作ることが目標として立ち上がりました。数年という時間がかかってしまいましたが、ようやくその責を果たすことができて、うれしいです。一冊にまとまってみると、連載のときとはまた違って、イリナさんのこれまでの生きかたが鮮明になり、より興味深く読むことができます。日本語でなければ書けなかった本です。どうか楽しみに待っていてください。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年6月1日(水)

ただ生きていることが快適な気候のきょう、何もしないでいられれば最高でしたが、そうもいかず。きょうのような美しい日々がもっと続いてほしいものです。

「水牛のように」を2022年6月1日号に更新しました。
今月もひとことやふたことではまとめられない、豊か(=雑多)な内容です。しかも、たとえば、斎藤真理子さんの「編み狂う」は10ヶ月ぶりですし、杉山洋一さんの「しもた屋之噺」は一度も休みなく244回続いているのです。

5月14日に、タイの作家で編集者のワート・ラウィーが急逝したことを知りました。タイ文学研究者の福冨渉さんがワート・ラウィーの「詩とは反逆だ」を追悼のために翻訳・公開しています。そもそもワート・ラウィーは福冨さんの翻訳で知った作家です。ぜひ読んでください、すばらしいです。
https://www.craft.do/s/qcgtWyiyGZsdly

翻訳ともとのタイ語を並べて、じっと見ていると、タイ語のことも少しずつ思い出して、もう少しちゃんと読めるようになりないと思うのです、が。。。

それでは、また来月も更新できますように!(八巻美恵)

2022年5月1日(日)

肌寒い五月のおとずれは、いまの暗い世界にピッタリすぎるとしても、よろこばしくはありません。何もしないで、ただ生きていることが快適な日というものはほとんど失われたといっていいほど少なくなったと思います。生きものとしての人間が快適に過ごせる域は案外せまいものなのかもしれません。

「水牛のように」を2022年5月1日号に更新しました。
いまさらながらのお知らせですが、「水牛のように」のはじめはその月の目次になっています。目次にはタイトルと著者の名前があります。タイトルをクリックすると、その本文が表示されます。著者の名前をクリックすると、その人がこれまで水牛に書いたアーカイヴが表示されます。活用してください。
先月は水牛のことをすっかり忘れていたというアサノさんもアサノさんなら、忙しいのだろうと思って、催促をしなかった私も私です。今月取り上げられているファン・ジョンウン『年年歳歳』はアサノさんが書いているように、ほんとうにすごい小説で、読みだしたら読み終えるまでやめられなくなります。人の名前はすべて姓と名のフルネームで書かれていて、そのせいもあり、たとえば母と娘の超個人的な関係であっても、外に向かって否応なく滲み出ていきます。小説の新しい力を感じました。

それでは、また来月も更新できますように!(八巻美恵)

2022年4月1日(金)

きのう夕方に乗ったバスが、思いがけず、ちょうど満開になりたての桜の花のトンネルの下を通りました。ビックリするほど美しい。その道にある停留所で降りた人はみなスマホを掲げて桜の花を撮っています。見知ったところでも、この日この時のこの花はつい撮りたくなりますね、わかります。帰宅のときには雨が降り始めて、きょうは気温が低いままでしたから、花はだいぶ散ってしまったことでしょう。

「水牛のように」を2022年4月1日号に更新しました。
疫病に戦争に天変地異。いまおきていることは身の回りにせまってくる現象としてはわかっても、なぜこのようなことがおきるのか、そこにはとても複雑になってしまった世界の構造が関係しているせいか、とてもわかりにくいと思います。いったい正解はどこにあるのか? 正解がわかっても、解決はできないところまで来てしまったのかもしれません。でも、満開の桜は美しく、地面に近いところに咲くすみれは可憐で、朝のコーヒーはおいしい。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年3月1日(火)

春三月の訪れは戦争とともに。予想していなかった展開です。予想できなかったのは、のんきすぎるからでしょうか。のんきに生きられる世界であってほしいです。

「水牛のように」を2022年3月1日号に更新しました。
月末の締め切りの少し前にウクライナで戦争が始まってしまったので、今月の原稿にはその影響があると思います。ここであれこれ云々するよりは、直接読んでいただくべきですね。まだ届いていない原稿もありますので、順次追加していきます。数日後に再度のぞいていただくようお願いします。

来月はどんな世界になっているのかわかりませんが、どうか更新できますように!(八巻美恵)

2022年2月1日(火)

きょうは偶然、春節。先月に続いて、明けましておめでとうございます。
とはいえ、世界はおめでたい方向に向かっているとは思えませんね。
1月1日はまだ冬でしたが、あれからひと月が過ぎた旧正月は春を含んでいるのを感じます。

「水牛のように」を2022年2月1日号に更新しました。
今月初登場の篠原恒木さんとは、ともに片岡義男さんの著書を編集していて知り合い、いろんなことを話すようになりました。かつてある有名な女性誌の編集長だった篠原さんはいつもおしゃれな身なりをしていて、お勤めにいくときだってスーツなんぞは着ないのです。でもそんな彼がたびたび職務質問を受けるということはなんとなくわかります。少数派の気配が色濃いので、怪しいというわけではないけれど、どことなく正体不明な感じがありますから。おれも水牛に書きたいな、と言われて、うれしくどうぞと即答しましたが、自分から水牛に書きたいと言うなんて、外見だけでなく中身もやっぱり少数派です。
そして、杉山洋一さんのしもた屋之噺は240回目になりました。おめでとう、と言いたいところですが、記念すべき今回も苦い内容です。これから何年かたって、まだ人類が生き延びていたら、杉山さんの20年にわたる日常の記録は、水牛などはもちろんのこと、杉山さん自身からも自由になって、人びとに届くのかもしれません。

杉山さんと仲宗根浩さんが触れている平井洋さんはわたしにとっても親しい人でした。自分が年齢をかさねるのに比例して、亡くなる人もふえてきます。体がなくなってしまうと、この世に残るのはスピリットだけ。それは物質のようには場所をとらないけれど、美しく積み重なって、わたしを取り囲んでいます。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年1月1日(土)

明けましておめでとうございます。
元旦も夜になってしまいましたが、東京の昼間の青空はいつもよりも青く、南側のガラス戸から入ってくる太陽の暖かさを全身に浴びていると、ともあれ幸福です。

「水牛のように」を2022年1月1日号に更新しました。
年が変わる瞬間の前後一日くらいにたくさんの原稿が届きました。明るいのもあり、暗いのもあります。暗い時代がまだまだ続きそうな今年の幕開けです。
水牛にとっての明るい話題は、杉山洋一さんの「しもた屋之噺」が今月は239回ですから、来月には240回を迎えることです。240回は240月で20年です。この間、一度も休みなく、原稿が来るのを当然と思って、水牛の更新も続けて来ました。
ことしは水牛のオフ会をやろう。会って、ことばをかわしましょう!

来月も無事に更新できますように!(八巻美恵)

2021年12月1日(水)

昨夜から夜明けにかけて、嵐のような雨が降りました。冬にあらざるような暖かさをともなってなにやら不穏な感じでした。起きてカレンダーをめくると、ことし最後の一枚です。

「水牛のように」を2021年12月1日号に更新しました。
このひと月、パソコンを新しくしたことやサイトの問題など、主にネットワークに関する試練に見舞われましたが、なんとかみなさんの原稿をアップできたようで、ホッとひといき。自分自身におこるトラブルと、また騒がしくなっているコロナの新型株のニュースと、どちらを向いても落ち着かない日々でした。

先月お知らせするべきだった情報です。
10月にくぼたのぞみさんの新しい本が三冊も出版されました。さすがはJ・M・クッツェーのオタクだと自認するくぼたさん、二冊はクッツェー本です。
『少年時代の写真』(クッツェー著のくぼたさんによる翻訳)
『J・M・クッツェーと真実』(くぼたさんによるJ・M・クッツェー論)
そしてもう一冊は『山羊と水葬』です。これまで「水牛のように」に書いてもらったエッセイがたくさん掲載されていて、とりわけうれしい一冊です。北海道という土地が持っているあれやこれやと、そこで生きている幼いころのくぼたさんの真摯なまなざしは、いまの彼女とおなじです。

それではみなさま、よい年をお迎えください! などと書いてもまるで実感が湧きません。(八巻美恵)

2021年11月1日(月)

衆院選の翌日は曇りから次第に晴れて、午後はあたたかな陽ざしがいっぱいでした。原稿の到着を待つあいだに、徒歩数分の図書館に行き、予約していた『野生のアイリス』(ルイーズ・グリュック 野中美峰訳 KADOKAWA 2021年)を借りてきました。縦長の本のなかの本文は横書きで、もとの詩と訳詞とが向かい合わせになっています。読むのが楽しみです。

「水牛のように」を2021年11月1日号に更新しました。
アフリカキカクの『珈琲焙煎舎の本』は、とても個人的でありながら、閉じていない感じがします。たとえば、「書くことと珈琲は、いつも切り離せない関係にあった。」というふうに。
長谷部千彩さんと久しぶりに会い、しゃべっているうちに、往復書簡みたいなものをやってみようということが決まってしまったのでした。長谷部さんが書くものは「水牛」で、八巻が書くものは、長谷部さんたちのサイト「メモランダム」で、読めるようにすることもふたりで決めました。書くときに、具体的な読者がひとりいることはおもしろいかもしれないと思っています。来月には、長谷部さんへの返信を書いたよ、とお知らせできることを目指します。

ではそろそろワインを飲みながら『野生のアイリス』を開きます。

来月も無事に更新できますように!(八巻美恵)

2021年10月1日(金)

東京の10月は台風をともなってやってきました。きのうまでの予報よりは降らず吹かずで、穏やかですが、ひんやりとした一日です。明日は台風一過で晴れるでしょう。雨と風とがエアロゾルを洗い流し吹き飛ばしてくれることを願います。

「水牛のように」を2021年10月1日号に更新しました。
管啓次郎さんによれば、Water Schoolsは、いずれもいまはなき閖上小学校(名取市)、大川小学校(石巻市)、小河内小学校(奥多摩町)のことです。

出版に携わっている人は、本が売れない、とよく言います。文芸作品で売れるのは賞を取ったものだけ、とも。それは事実でしょう。しかし、アサノタカオさんの読書日記を読むと、本というものが持っている本質的な明るい世界が見えます。大小さまざまな出版社が出す本は、新刊として売られたあとも古書としてどこかにありつづけて、人間よりもはるかに長生きしている。あげられている本のタイトルを検索すれば、ほぼ手に入るはずです。ひとりの人間が目にすることのできる本の数は少ないかもしれないけれど、なにかきっかけがあって求めれば、その本はあり、そこに書かれていることばが新しい世界へと誘ってくれる。自分がいまいるここよりももっと自分に近く感じられるところが遠くにあることもおしえてもくれます。自分の世界はせまくても、広い世界とちゃんとつながっていて、いまいるここを変える力になることをことばが気づかせてくれます。

莊司和子さんが一月前に急逝したことをお知らせしなければなりません。79歳の誕生日の日、胸が痛いと救急搬送されて、その日の夜に病院で亡くなったとのこと。心不全でした。莊司さんはタイ語のエキスパートであり、もう40年ちかく前のことですが、一ヶ月間のタイ語講座を受講したときの先生でした。偶然です。そこからはじまった関係はいままでずっと続いてきました。「水牛のように」の右側にある著者別アーカイブのスラチャイ・ジャンティマトンの翻訳はすべて莊司さんのものです。翻訳はいつだってタイの空気やスラチャイという人の感じがよく出ていました。ほんとうにうまい! ことしになって、そのスラチャイの短編集を一冊の本にまとめようとふたりで相談をしていて、夏にようやく目処がついたところでした。これまでの翻訳を見直し、さらに新作を加えて、というプランも出来上がっていたのです。急死した人は、自分が死んだことがわかるまである程度の時間が必要なのではないか、彼女の魂はまだこのあたりをさまよっているような気がします。和子さん、RIP。

それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年9月1日(水)

今朝目を覚ましたときには、すっぽりと肌掛け布団にくるまっていました。肌もひんやりとして、暑さにあきあきしていた身には気持ちがよかったものの、この気温の低下は自然な秋というには極端すぎるものだと思います。

「水牛のように」を2021年9月1日号に更新しました。
暑いさなかの8月18日に、富山妙子さんが亡くなったという知らせ。2日後には荼毘に付されて、富山さんのスピリッツだけがわたしたちに残されました。日本でよりは韓国で大きく報道されたのもそのスピリッツのひとつです。

森下ヒバリさんのおかずがけご飯! タイ語ではおかずのことを「ごはんといっしょに」といいあらわします。まずご飯があり、それからおかずです。ともかく、ご飯といっしょでなくてはいけない。目玉焼きをひとつ乗せるのはいい考えですね。たしかにそれだけでごちそうになります。我が家では、おかずかけご飯を「かけご」と短く言って、ずいぶん前からの定番となっています。

パリでどうしているのかと心配していた福島亮さん。ベルヴィルの市場のおいしいものを食べすぎて、太らないねないようにしてくださいね。

室謙二さんのもろもろの部位の痛みは、同じ年齢のわたしもいくらかは経験しています。老化はいたしかたないことなので、治すというよりはある程度の状態を保っていければいいだろうと思うようになりました。ある程度の状態とは、ときどきは痛いのを忘れていられるくらいのことでしょうか。

最近の天気予報は信用できないものになっていますから、きょうは涼しくて快適だとしても、夏が終わったのかどうかは不明です。

それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年8月1日(日)

今朝、というのか、まだ真っ暗なときに突然ミンミンゼミが鳴きだして、すっかり目が覚めてしまいました。羽化したばかりだったのでしょうか。ミンミンゼミは午前中に鳴くと言われていますが、そうも感じられないこのごろです。セミにとってもどこか異常なのかもしれません。

「水牛のように」を2021年8月1日号に更新しました。
しばらくお休みが続いていた斎藤真理子さん、イリナ・グリゴレさん、璃葉さんがそろって戻ってきました。休んでいない人たちと合わせて、楽しんでください。

8月がスタートしたばかりなのに、すでに暑さに疲れています。オリンピックの開会式は一応見たのですが、見てよかったとは思えないままでした。その後はスケボーとサーフィンを少し見て、これらも利権の網にとらわれることになるのか、と。。。

ともあれ、この夏を生きのびて、来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年7月1日(木)

昨夜からずっと雨の一日。気温も低く、7月には似合わない今日です。

「水牛のように」を2021年7月1日号に更新しました。
初登場の下窪俊哉さん。ツイッターでの長い知り合い(?)です。一度はリアルなトークの場所でお見かけしたかもしれません。宣伝や強い主張を繰り広げることの多いツイッターで、下窪さんの投稿は彼自身の行動や考えだけが、行きつ戻りつ、書かれています。「アフリカ」というミニコミ(といっていいのかな?)を作っているのも親しい感じで、そのことについても知りたいと思い、書いてね、とお願いしました。でも、「アフリカ」について書くことを決めたのは下窪さん自身です。
自宅から歩いて2分ほどのところにスーパーマーケットがあります。チェーン店のなかでは小規模中の小規模店舗ですが、だいたいのものはここで調達できるため、通ううちに商品についてのシステムまで少しはわかるようになってきました。生鮮商品の新しいのが並んで、しかもすいているのは午後4時。消費者だって単なるバカではありません。
室さんの背中の痛いの、はやく治りますように。
「灰」はたしかに「はい」ですね、藤井さんの言葉に対する感受性をこころの底から愛でてしまいます。

オリンピックは強行されるようで、じつに憂鬱な7月です。来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年6月1日(火)

6月になりましたが、きょうの東京はすばらしく快適な気候。半袖のシャツ一枚で、暑くも寒くもなく、晴れて風はおだやか、湿度もちょうどいい、ありうべき初夏という一日です。太平洋側の気候しか知らない人としての、ありうべき、ではあります。梅雨入りが早いといわれていましたが、せめてもう少しこんな日があるといいなと思います。

「水牛のように」を2021年6月1日号に更新しました。
気候は気持ちがいいとしても、東京の日常はひどいものです。そういうところでオリンピックをやると決断する人は金の亡者だからでしょう。オリンピックが開催されたなら、その後の日本はいまのままではありえない、ということが、例の「犠牲」の意味なのかもしれません。(小声で。。。)
目の老化はいつの時代にもあったはずです。しかし、昔の老人はいまのようにディスプレイで細かい文字を読むことはなかったので、それなりに老化と仲よくなれたのかもしれません。いま(の老人である自分)は、そうはいかないことが多くなりました。やることを少しずつでも快適な方向にシフトしつつ、越川さんのようにほんとうに見えづらくなったら、リセットすればいいのかな。
豆乳のシャーベットは作ってみたいですね。

それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年5月1日(土)

一昨日の雨に洗われて、きょうの東京はきらきらとした光のあふれる朝でした。眠っているあいだに届いたメールをチェックして、さあ、水牛の更新だ、と考えているところに揺れがやってきて、長い時間それが続きました。これはどこかで大きな地震がおきているとわかる揺れでした。そして午後は一点にわかにかき曇って雨がふり、夜になると激しい雷雨で、竜巻注意報まで出ました。

「水牛のように」を2021年5月1日号に更新しました。
コロナ禍と地震禍に苛まれていても、生きている日々は続いていきます。ひどい時代に生きているのだとしても、疫病や災害がすべてというわけではありません。ふと訪れる静謐な時間もあります。そんな時間に水牛を読んでもらえたらうれしいけれど、踊ったり、製本したり、本を読んだり、詩作したり、思索したり、山菜の天ぷらをつくったり、ちゃんばらしたり、ぼんやりしたりするのもいいですね。

それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年4月1日(木)

四月が来る前にソメイヨシノが散り始めるなんて。この暖かさをぼんやりと楽しんでいますが、もしこのままの速度で夏になったら、ことしも厳しい暑さになりそうですね。どこからどのように考えてみても、オリンピックどころではありません。

「水牛のように」を2021年4月1日号に更新しました。
今月号は原稿の数が多く、また長いものも多いせいか、目次が2ページに渡ってしまいました。はじめてのことです。管啓次郎さんと高橋悠治さんのものはページ最下段の「過去の投稿」をクリックすると表示されます。ご注意ください。
ひさしぶりに斎藤真理子さんの「編み狂う」が戻ってきました。待っていてくださったみなさん、きっと満足していただけると思います。「編み狂う」斎藤真理子さんは、水牛的読書日記(4)に登場するファン・ジョンウン『ディディの傘』の翻訳者でもあります。

3月22日に平野甲賀さんが亡くなりました。この水牛のタイトル文字も平野さんのものです。
平野さんが肺炎で倒れる前には、ちょうどいまごろ、東京に来るという予定があったのです。その第一の目的は、津野海太郎さんたちと会うことだったので、そのときには密かに録音機をONにしようと思っていました。「水牛通信」のころ、平野甲賀、津野海太郎、鎌田慧、高橋悠治という1938年寅年うまれの4人にそれぞれの戦争および戦後体験を話し合ってもらい、「トラたちの8・15」という座談会記事にしました。敗戦時、彼らは6歳か7歳だったので、話題は子どものころのことでした。その少年たちが80歳を超えたいまについて、集まるのを機会にまた語ってもらったらおもしろいに違いないと楽しみにしていたのですが、その機会は永遠に失われてしまいました。
平野さんとはいろんなことをいっしょにやってきましたが、そのどれもが遊びだったような、軽々として隙間の多い明るい経験でした。出来上がってくるものは平野さんでしかありえない際立って斬新なデザインなのに、そこにはいつも静かさが満ちているのでした。亡くなったばかりの人について書くのはむつかしいことです。

それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年3月1日(月)

3月を迎える日は、ひと月前の2月を向かえるのとはちがって、これから春が来るのだというあたたかな気持ちがします。近所の沈丁花の花がいっせいにひらいて、春の香り匂い立つ日です。

「水牛のように」を2021年3月1日号に更新しました。
今月はじめての登場は服部玲治さんの「新・エリック・サティ作品集ができるまで」です。これまで何度か書いたように、水牛通信の読者のなかでもっとも若かったのは杉山洋一さん、当時14歳ですが、ここに当時3歳のときに水牛楽団を聴いたという人があらわれました。そういえば、親に連れられていった水牛楽団のコンサートをなにがなんだかわからずに聴いたという人には何人か会ったことがあります。コンサートはいまでもこどもを連れていけないことが多いと思いますが、水牛ではそういう「禁止」はしなかったので、いやいや連れていかれたこどもたちがわりとたくさんいたのですね。なんらかの種を彼らにばらまいたのかもしれない、と今になって考えます。そして、そういう場所があるのはいいなとも思います。こどもの感受性は、音楽が好きで詳しいおとなとは違うところがおもしろい。こども向けとかなんとかいうことを考えすぎずに、大人である自分とおなじように聴けばいいし、演奏中にこどもが泣き叫ぶことがあってもいいじゃない、と思います。
ピーター・バートさんの「高橋のふたつの側面」は、杉山洋一さん企画のコンサート2回分を録音したCD「KAGAHI」の解説です。

それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)

2021年2月1日(月)

2月1日のやや遅い時間の更新になってしまったので、今月は手短に。

「水牛のように」を2021年2月1日号に更新しました。
杉山洋一さん企画の「高橋悠治作品演奏会 III フォノじェーヌ」はとてもおもしろい演奏会だったと思います。何のあてもないところから自分たちで作り上げたというところは、予定調和のふつうの演奏会とはまったく違う。演奏家たちが解放されていたのも、杉山さんの「これをやるのだ」という(ものずきな)情熱が演奏会全体を貫いていたからだと感じます。この演奏会に先立つ「I」と「II」を収録したCD2枚組も作ってしまい、日本では今月末ごろの発売になるようです。詳細は来月お知らせします。

管啓次郎さん訳のパティ・スミス『M Train』(河出書房新社)は回想録ですが、なんだか変な本で、忘れがたい。写真がたくさん入っていて「フリーダ・カーロの松葉杖」「芥川龍之介の墓」「シルヴィア・プラスの墓」「ヴァージニア・ウルフの杖」などには見入ってしましました。

それでは、来月もきっと!(八巻美恵)

2021年1月1日(金・祝)

あけましておめでとうございます。
新しい年を静かに迎えました。東京は気温は低めの晴れ渡った元旦ですが、ワクワク感はほぼゼロです。

「水牛のように」を2021年1月1日号に更新しました。
いつも元旦には更新の作業をしていますが、ことしはお雑煮を食べ、おせちを食べ、朝から日本酒を一杯飲みはしましたが、おめでたい気分はまったくわいてこないのでした。でも、こんなときにも原稿を送ってくださるみなさんには感謝しています。アサノタカオさんの「本は水牛である」という最初のセンテンスは楽しく美しいですね。これこそわたしにとってのお年玉だと思いました。

福島亮さんの「『水牛通信』を読む」を独立して読めるようにしました。一号ごとに力作なので、ぜひ読んでください。
「水牛通信」のころといまの「水牛」とがどのように繋がっているのかいないのか、あまり考えたことはないのですが、同じではありえないにしても、少なくともスピリッツは受け継いでいると思っています。「水牛」についてはブログに少しずつでも書き続けていこうと思います。

それでは、来月もきっと!(八巻美恵)

2020年12月1日(火)

きょうは先月1日とおなじ十六夜の月です。見上げると、「木枯らし途絶えて冴ゆる空より」と歌いたくなる冬の夜空。

「水牛のように」を2020年12月1日号に更新しました。
今月初登場の工藤あかねさんはソプラノ歌手です。ひと月ほど前に、コンサートの後のちいさな打ち上げの席で偶然隣にすわり、どこまでが本当なのかわからないおもしろいお話を聞いているうちに原稿をお願いしていたのでした。
こうして毎月律儀に水牛を更新している私は室健二さんと同じ年の生まれです。室さんとおなじようにコンピュータとは前世紀からの長いつきあいで、便利で手放せないものだとは思っているのですが、室さんとおなじように、最近は実に面倒くさいと感じています。自動車は運転しませんが、コンピュータが車のハンドルのようになってほしいという願いはおなじです。競争や独自性とかの追求でなく、マジでほんとうに使いやすくしてもらいたいものです。
福島亮さんによる「水牛を読む」の1と2も公開されています。力作です。

「水牛」を読む(1):『水牛新聞』創刊号(福島亮)

「水牛」を読む(2):『水牛新聞』第2号(福島亮)

お知らせをいくつか。

さとうまきさんはシリアの青年が描いた水牛の絵とイラクのサブリーンが生前に描いた「ナツメヤシと太陽」をカップリングして、年賀状を作りました。収益はシリアの青年の治療費にあてられます。
12月20日まで予約受付中!
http://teambeko.html.xdomain.jp/team_beko/postcard.html

管啓次郎さん翻訳のパティ・スミス『M Train』は『ジャスト・キッズ』につづく回想録です。

今月お休みの越川道夫さんはおそらく新しい監督作品の『あざみさんのこと』で忙しいのでしょう。

さらに、今月お休みの斎藤真理子さんの翻訳による『アヒル命名会議』が出たばかりです。

水牛ではおなじみの藤本和子さんの『ブルースだってただの唄』がちくま文庫になりました。『塩を食う女たち』に続く黒人女性の聞き書きです。読んでいるうちに頭のなかが、というのか、頭の上が、というのか、スカッとして、しだいに姿勢がよくなってきます。本を読むことの快楽をぜひ経験してください。文庫にするために、くぼたのぞみさん、岸本佐知子さん、斎藤真理子さんと私との四人で力を合わせました。実際に会って相談した最後は去年の12月だったはず。その後は相談のようなことはしないで、それぞれができることをしただけ、というのが実はとてもこころよかったのだと思います。コロナのせいなのですけどね。編集担当者は男性ですが、著者の藤本さんと連絡がとれなくなったときには、シカゴまで訪ねていきます、と言うのでした。彼の熱意がすべてをあるべきところにまとめてくれたのだと思います。

それではよい年をお迎えください! 新年も更新できますように。(八巻美恵)

2020年11月1日(日)

昨夜は晴れた夜の空に満月と赤い火星を見ることができましたが、きょうは曇っていて十六夜の月はいずこにありや?
きょうのように暑さや寒さを感じることのない快適な気候で、ただここにいると、ついこのあいだまで苦しんでいた暑さのことをもうすっかり忘れていることに気づきます。暑かったという記憶だけは残っていても、暑いとはどのようなものだったのか、覚えていないのです。

「水牛のように」を2020年11月1日号に更新しました。
世界はこれからどうなるのでしょうか。自分以外の人間と接することを禁じられでも、それはムリです。

おなじみエドゥアルド・ガレアーノ『日々の子どもたち』の今日はこれです。

11月1日 動物に注意
1986年、狂牛病がイギリスの島々を襲い、感染性の認知症を疑われた二百万頭以上の牛が死刑に処せられた。
1997年、香港からはじまった鳥インフルエンザはパニックを引き起こし、百五十万羽の鳥が早めの死罪宣告を受けた。
2009年、メキシコとアメリカ合衆国で豚インフルエンザが発生し、地球全体がその疫病から身を守る必要が生まれた。
いったいどれほどの数かわからないが、数百万頭の豚は、咳やくしゃみが原因で犠牲になった。
人間の病気を引き起こしているのは誰なのか? 動物である。
実に単純である。
その代わり、地球規模のアグリビジネスの巨人たち、食糧を危険極まる化学爆弾に変えている、あの魔法使いの従弟たちには少しも疑いがかけられないでいる。

それではまた! 来月も更新できますように。(八巻美恵)

2020年10月1日(木)

どこからともなく木犀の花の香りがただよってくる10月のはじまり。開花したての新鮮な強い香りです。曇りの日の多いことしの秋ですが、明日の満月は見えるでしょうか。

「水牛のように」を2020年10月1日号に更新しました。
今月はなぜか「お休みします」というメールがいくつか届きました。お目当ての著者の名前がなかったら、どうか来月を楽しみに待っていてください。

先日、ソ連のフェミニズムの研究をしているという人からメールが届きました。
『水牛通信』の1983年5号に掲載された、ソ連のフェミニスト、タチヤーナ・マモーノヴァ氏の「父権的ロシアの女のたたかい」という記事についての問い合わせです。マモーノヴァ氏は現在アメリカ在住で、ご自分の活動をまとめるために本を編集されているのですが、その中にこの記事の一部を転載したいと言っています。」とのことで、もちろん、どうぞ、と返信しました。どんな本になるのか、出来上がったら連絡をいただくことになっています。
1983年といえば、37年も前になりますが、小さな記事がこうして蘇ることもあるのです。
そして、タチヤーナ・マモーノヴァさんは、1979年にレニングラードで初めて地下出版されたフェミニスト雑誌「女性とロシア」の編集長だと自己紹介していますから、彼女の長い活動の歴史が本人によって明らかになるのはすばらしいことだと思います。

それではまた! 来月も更新できますように。(八巻美恵)