2024年3月1日(金)

今朝は夜明け前に千葉県東方沖地震の揺れで目がさめました。荒々しい3月の到来です。

「水牛のように」を2024年3月1日号に更新しました。
大河ドラマ『光る君へ』が話題です。源氏物語や紫式部についての本がいろいろと読めるようになったのはよろこばしいことです。しかし、藤井貞和さんの「ばあさばす」ほど変わったものはほかにはないのでは? ここまで拡張できるのですから、藤井さんと源氏物語の相性は抜群なのだと思います。
二ヶ月休載だったイリナ・グリゴレさん。お休みのあいだにパワー・アップ! はじめて会ったときに「書けるかな〜」と言っていた彼女をなつかしく思い出すこともありますが、それは「書くしかない」と決めた彼女の現在があってこそ。
イリナさんはもちろんのこと、みなさんが「水牛」を自分の場所として、書きたいことを書きたいように書いてもらえるのが運営する者にとってのよろこびです。月に一度の更新というのは、月刊誌のペースから(安易に)思いついたことで、当初はウエブではスローすぎる感じがしたのですが、自分の能力その他にとっては続けることができた基本だったと今は納得できます。

それでは、また来月もよろしくね。(八巻美恵)

2024年2月1日(木)

春のようにあたたかい日という予報は見事にはずれて、どんよりした昼下がりの東京。気温だけはたしかに高いけれど、風があり、春はまったく感じられません。

「水牛のように」を2024年2月1日号に更新しました。
先月は元旦だったからなのか、来るはずの原稿をあまり待つこともしないで、見切り更新しました。できた!と呑気な気分で新年の一杯を味わおうとしていたときに、揺れを感じました。このあたりはそうひどく揺れたわけではありませんでしたが、その後の報道で、能登の被害の大きさにおののきました。こんな大地震がおきることなどまったく知らずに更新作業を終えていてよかった。「公開」というボタンを押すちいさな作業にだって、影響があっただろうと思いましたから。
こどものころは「災害は忘れたころにやってくる」と言われていましたが、もうそういう時代ではなさそうですね。防災グッズを入れた完璧なリュックを用意していても、そのとき家にいなかったらアウトです。

冬の時代に災害や事故をまぬがれたとしても、この世界にとどまっていられるのはそう長くはないはず。このあたりで蓄積された水牛のリソースを読み返して、水牛文庫のようなかたちにすることを考えてみようと思います。まだそう思っているだけですが。。。

それでは来月も無事に更新できますように!(八巻美恵)

2024年1月1日(月)

明けましておめでとうございます。
さまざまな疑問に彩られた「おめでとう」ですが、ともあれ、年が改まったことは受けとめました。きのうから続く時間のなかに、ほんの少しの変化を感じるきっかけを見出したいと思います。

「水牛のように」を2024年1月1日号に更新しました。
この更新も長いこと月に一度おこなっている日常と化した決まり事です。更新という作業そのものに変わりないけれど、更新する内容がおなじだったことはありません。年のはじめの更新ですから、寄ってたかって水牛という場を賑やかにしてくださるみなさんに心から感謝を! 今月は読みながらつい笑う原稿が多かったと思います。藤井貞和さんによれば、きょうは蘖曜日。蘖という字は「げつ」「ひこばえ」と読み、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。親が殺されたりしたあとに生き残った子や、滅亡したと思われた民族の廃墟に、新しい生命・希望があらわれることにも使われたりするそうです。きょうという日にふさわしいですね。

それでは来月も無事に更新できますように!(八巻美恵)

2023年12月1日(金)

激しい寒暖の差に翻弄される日々です。衣類は夏と冬のものがあればいいし、衣替えは不要。とはいえ、すでにこの夏の猛暑の記憶は薄れて、せりがたくさん入ったきりたんぽ鍋が食べたいな、などとすっかり冬の思考になっています。

「水牛のように」を2023年12月1日号に更新しました。
まだ今年がおわるという実感はありませんが、今年最後の更新です。
一日一日の暮らしのなかには小さなよろこびや笑いはありますが、世界という大枠は壊れかかっている。壊れかかっているのではなくすでに壊れているのだと言う人もいます。この暗い時代をどのように生きていくのか、日々の小さなよろこびのなかにいても、ふと考えてしまうことの多い2023年でした。来年はもっと厳しくなるのかもしれません。

笠井瑞丈さんのダンスをどうぞ。
今、ショパンを踊る
日時:2023年12月5日(火)19:00開演
   6日(水)19:00開演
   7日(木)19:00開演
*開場は開演の30分前、受付開始は60分前
会場:国分寺市立いずみホール
(JR中央線・武蔵野線 西国分寺駅南口ータリー前、東京都国分寺市泉町3丁目36−13)
構成・演出・振付:笠井叡
出演:笠井瑞丈、上村なおか、浅見裕子、川村美紀子

今月はお休みですが、越川道夫さんの最新作「水いらずの星」と
ロングインタビュー「映画という名の「傷」をつくっている」をどうぞ。

そして、下窪俊哉さんの「アフリカ」の詳細と購買は「アフリカキカク」からどうぞ。

それでは、来年も無事に更新できますように!(八巻美恵)

2023年11月1日(水)

エアコンなしで、家の中も外も快適な気候が続いています。11月だというのに、昼間の室内なら半袖のTシャツでまだまだだいじょうぶ。なんとなく落ち着かないのはこの気候のせいでしょうか。

「水牛のように」を2023年11月1日号に更新しました。
福島亮さんが書いているように、ようやく「水牛通信」全巻をPDFで公開しました。すべては福島さんの努力によるものです。こうした熱意をもって後から来る人がいるのは水牛にとってとても心強いことです。他力本願もいいところですが、それなしではやっていけないのが水牛のありかたかもしれません。毎月原稿を書いて送ってくれる人たちに対してもおなじように感ずるところです。下窪俊哉さんの「『アフリカ』を続けて」のように、ほんとうはひとつひとつの原稿について紹介するべきではないのかと思ってはいるのですが、そこまでエネルギーが持続しません。編集者失格じゃないの?と自分にツッコミを入れることもあるのですが、原稿が届いたその日に公開するような状況なので、クッションなしで読んでもらうほうがいいと思ったりもするのです。
今月のニューフェイスは吉良幸子さん。わたしの著書『水牛のように』のブックデザインをしてくれたhoro booksのデザイナーです。平野甲賀さんの最後のアシスタントだったので、平野さんが亡くなったあと、未亡人になった平野公子さんとともに東京に引っ越し、それ以来、二人でいっしょに暮らしています。44歳の年齢差のルームメイトは快適そうに成り立っているようですが、具体的にどんなふうな暮らしなのか知りたいと思い、それなら書いてもらうのがてっとりばやい。想像していたとおり、おもしろいですね。

藤井貞和さんの新刊『〈うた〉の空間、詩の空間』(三弥井書店)
「歌のDNA」「詩の日本語」「言葉イメージ」の三章に、歌や詩に関する90近い短いテキストが並んでいます。どれにも短歌や俳句、詩などが引用されていて楽しく読めます。でも藤井さんですからね、どれも一筋縄ではいきません。

それでは、また来月に!(八巻美恵)

2023年10月1日(日)

暑いのはきっと明日までね、と言い続けて10月を迎えてしまいました、いやはや。
いつもいく近くのスーパーマーケットと隣家との境にある植え込みに、カラスウリの蔓がからみついていて、レースをまとったような白い花が夕方にいくつも咲いているのを見つけたのは、この夏のささやかな収穫です。赤い実がなるか、黄色いのがなるか、これからの楽しみです。タネがめずらしいかたちらしいので、もしも実ったら、そっとひとついただこう。

「水牛のように」を2023年10月1日号に更新しました。
イリナ・グリゴレさんの「蜘蛛を頭に乗せる日」は、これまでのエッセイとは違って、不思議な短編小説の趣です。次はどんなのが送られて来るのでしょうか。管啓次郎さんの「図書館日記」は今回が最終回です。12回で完結です。でも、次号からまた趣向を考えます、ということなので、また楽しみがふえます。管さんの軽々としたフットワークはいつも驚きですが、それはちゃんと詩に反映されていると感じます。そして、さとうまきさん「やっぱりバスラ」のサブリーン。彼女が亡くなったあと、東京で小さな追悼会があり、参加したことを思い出します。遺言によってさとうさんに託されたサブリーンの遺品も見せてもらいました。絵を別にすると、遺品はそのとき彼女が身につけていたほんのわずかのもので、一枚のビニール袋にすべて納まってしまうものでしたが、死んだあとはさとうさんとともに生きるのだというサブリーンの強い意志がしっかりと伝わってきたのでした。

それでは、また来月に!(八巻美恵)

2023年9月1日(金)

ゆうべの満月、スーパームーンの夜は空一面に薄い雲がかかっていて、月の所在はわかるものの、おぼろにかすんでいました。今夜の十六夜の月は、雲ひとつない夜空につめたく輝いています。通りすぎていく風もほんの少し涼しくなったかな。

「水牛のように」を2023年9月1日号に更新しました。
毎月1日は水牛の更新をするので、予定をいれないようにしているのですが、きょうは午後から横浜までダンスを観にいってしまい、帰宅してからの作業となりました。いつもよりいくらか遅くなってしまいましたが、完了! ホッとして満月を眺めています。
毎月トップページを不思議なイラストで飾ってくれる柳生弦一郎さん。近刊のえほんを見つけたので、お知らせします。タイトルは『おだんごやま』、なんでしょうね、おだんごやま、って。はやく読みたいです。

それでは、また来月に!(八巻美恵)

2023年8月1日(火)

暑い日々が続きます。昨夜はゴロゴロという遠雷から始まって、バリバリ、ドカーンと派手な雷鳴まで、少しだけ降った雨の音もあり、安眠を妨害されました。きょうの午後にはまたにわかにかき曇り、雷それから強い雨がふり、そのあと一気にすずしくなった東京です。ぼんやりカレンダーを見ていると、8日はもう立秋ではありませんか! いつもと違うこの夏、どのように終わり、どのような秋が来るのでしょう。人類滅亡までの残り時間は1分30秒だとか。

「水牛のように」を2023年8月1日号に更新しました。
お目当ての書き手の名前がなくても心配しないでください。今月は休む、という連絡があった人ばかりですから、きっと来月には復帰します。
アサノタカオさんからは今月は休んで、来月ふた月分を、というメールがあったのですが、きょうになって、番外の原稿が届きました。藤本和子さんのしごとのスピリットを受け継ぐという「在日コリアン女性作家選」のアイディアはうれしく、とても楽しみです。ゆるく束ねて差し出すことも必要だと思います。藤本和子選『女たちの同時代――北米黒人女性作家選』全7巻の藤本さんによる解説は、水牛の本棚で公開しています。ぜひ読んでみてください。この7冊分の解説だけで1冊の本になると思います。
戸田昌子さんの「これはギネスではない」を読み、もう20年以上まえの夏のある日のことを思い出しました。ポイントはもちろん、ギネスです。その夏も暑く、エアコンのない部屋にひとりいて、お昼に何を食べようかと考えました。ふと、ギネスは栄養たっぷりだから食事がわりにもなる、と誰かに聞いたことを思い出し、ちょうど冷蔵庫にギネスの小瓶が入っているし、そうだ、昼食はそれだ、と決めました。飲み出すと、ますます暑く感じるようになり、よからぬことなどを考えているうちに眠くなり、たっぷり昼寝をしたのでした。ギネスに栄養があったのかどうかはわからなかったけれど、悪くない午後でした。

それでは、また来月に!(八巻美恵)

2023年7月1日(土)

7月は土曜日が運んできました。梅雨もおしまいにさしかかったせいなのか、先月末から暑い毎日で、これからの真夏はいったいどうなるのでしょうか。電気料金を値上げしておいて、暑いときには躊躇なく冷房を、といわれるこの矛盾。。。

「水牛のように」を2023年7月1日号に更新しました。
次々と届く原稿を読みながら、今月は記憶ということがひとつのテーマだと感じました。
冨岡三智さんの「ジョコ・トゥトゥコ氏の1000日法」にサルドノ・クスモの名前を久しぶりに見て、なつかしさにつつまれたのもそのひとつです。サルドノさんに最後に東京で会ったのはもう20年ほども前です。そのときのダンスでは彼はすっかり画家になっていて、ステージ上で大きな絵を描いていたのでした。インドネシアの有名な画家が自分に乗り移っているのだ、と言っていたことを思い出します。スタジオには自分が描いた絵画もかざってあるそうだから、それはいまでも続いているのかもしれません。会ってまた話をきいてみたい。
杉山洋一さんの「しもた屋之噺」に出てくる篠﨑功子さんのためのヴァイオリン・コンチェルト「ラ・フォリア」は7月16日に世界初演されます。以下にコンサートの詳細を。

篠﨑功子と仲間たち〜コンチェルト・アフタヌーン〜
2023年7月16日(日)
開演 14:00 (開場 13:20)
紀尾井ホール
【プログラム】
J.S.バッハ  ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042
杉山洋一  ヴァイオリン協奏曲「ラ・フォリア」<世界初演>
ブラームス  ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
【出演】
ヴァイオリンソロ 篠﨑功子
指揮 杉山洋一/清水醍輝 
篠﨑功子と仲間たちオーケストラ
コンサートマスター 木野雅之

それでは、来月もまた!(八巻美恵)

2023年6月1日(木)

洗濯物をベランダに干していて感じること。このごろは風の強い日が多くて、洗濯物が静かに竿から垂れていることがあまりありません。いつだって風にひるがえって踊っています。毎日のように天気がせわしなく変わることと関係がありそうだと思っていたら、夏の前なのに、ついに台風までやってくるとは!

「水牛のように」を2023年6月1日号に更新しました。
今月はコロナによる規制がなくなったので、友人たちと久しぶりに会う機会が増えました。コロナウイルスはまだいなくなったわけではないので、それぞれが気の済むように気をつけて。数年ぶりという人もいて、おしゃべりがはずみました。会って話すとき、ことばは話す人の身体から、そのときの即興として出てくるようで、話す人のからだそのもののように感じられます。書くことは、話すときとはちがって、ことばはしっかりと固定されます。しかし、固定されることによって、話し相手だけではない(そして書く人自身だけではない)人たちにことばが開放されていくのだ。というようなことを考えた今月です。話すこと、書くこと、読むこと、みな必要ですね。

それでは、来月もまた!(八巻美恵)

2023年5月1日(月)

雨という予報が見事にはずれて、五月らし陽射しの午後です。やはり五月の訪れはこうでなくては。男性を含む旧友たちと、いまごろが盛りのライラックの花の美しさについてのメールが飛び交うのは、信州の高校時代にごくふつうに目にした花だからです。

「水牛のように」を2023年5月1日号に更新しました。
若松恵子さんと篠原恒木さんは、どうやら同じ日にボブ・ディランのライヴ会場にいたようですね。そして、下窪俊哉さんは戸田昌子さんの自宅でのトークライヴに登場しました。この日の夜は外出していたので、おしまいのところしか聞けなかったので、こうして文字の記録として残るのはうれしいことです。人がもともと持っている関係性が、少しだけ、水牛で具体的に明るみに出てくるのも楽しい。トップページのイラストもそんな楽しさを伝えてくれます。
生きていればどうしてもやってくる90歳代の自分を想像することはあまりありませんが、なんとなくイヤな感じはつきまといます。それはほぼこの国の政治のせいです。死ぬことに安心できないから、人は終活などということも考えてしまうのでしょう。この水牛も、誰かに引き継いでもらおうかなとふと思ったりもしますが、きょうのような美しい午後には、気持ちよく「死ぬまで続ければいいのだ」モードです。

それでは、来月もまた!(八巻美恵)

2023年4月1日(土)

久しぶりに光のあふれる午後。道ゆく人たちはおもいおもいの衣服を着ています。分厚いコート、薄いコート、カーディガンやセーターから半袖のTシャツまで、どんなものを着ていても快適に過ごせるのはいまだけの気候なのかもしれません。

「水牛のように」を2023年4月1日号に更新しました。
今月はじめてご紹介するのは浅生ハルミンさんと戸田昌子さんです。
浅生ハルミンさんの名前を知ったのは、かわいいねこのパラパラ漫画を買ったとき、もうずいぶん前のことです。去年の暮れに、浅生さんが「本の雑誌」でこけしについての連載を始めたことを知りました。父がこけしを集めていて、死後にその大部分を手放しましたが、ほんの少し、自分が気に入った小さなのをいくつか取ってあり、いずれは誰かにあげようと思っていたのです。あげるべき人は浅生さんではあるまいか、というわけで、無事にもらってもらいました。こけしもわたしのところにいるよりしあわせです。夢の話を書くこともそのときにゆったり自然に決まり、今月からスタートです。夢のなかの世田谷はすてきなところですね、ちょっとこわいけれど。
戸田昌子さんがきのう3月31日の午後「くだらない話をエッセイにしてみたい」とツイートしているのを見て、「読みたい」と反応したところ、「書きたい」とすぐに返信があったのでした。それなら水牛に、という自然な流れになりました。ひと月あとの5月から書いてもらうのが穏当だろうと思いましたが、間に合えば、4月1日に載せますよと言ってみたら、夜中にちゃんと原稿が届いていたのでした。戸田さんとはまだこのやりとりだけの関係しかありませんが、これから毎月楽しめそうです。ふたりで思わず自然な急流に乗っちゃったね、という感じ。
福島亮さんがパリから帰国したので、ベルヴィル日記は最終回です。先月お知らせした「思想」3月号の特集「雑誌・文化・運動――第三世界からの挑戦」を主題とする共同討議が4月15日に行われ、福島さんも水牛について発言されるようです。ぜひご参加ください。詳細はこちらのツイートから。
藤井貞和さんの「良心」というタイトルは、本文と同じように横線で消されている指定でしたが、いま使っている水牛の形式ではそれを反映出来ません。残念です。言おうとしても消される「良心」をまずはタイトルで伝えたかったと思います。

それでは、来月もまた!(八巻美恵)

2023年3月1日(水)

東京はあたたかく穏やかな3月のはじまりです。原稿が届くのを待つあいだ、少し外を歩いてきました。いろんな種類のすみれやチューリップやラナンキュラスなど、短いあいだに、カラフルな春の花がそこここにあふれていて、ああ春だ、と思い知らされました。植物は複雑だけど、花はなぜかわかりやすく季節をおしえてくれますね。

「水牛のように」を2023年3月号に更新しました。
下窪俊哉さんが書いているように、発売中の岩波書店「思想」3月号に、福島亮さんの「水牛、小さなメディアの冒険者たち」という論文が掲載されています。水牛についてのこのような論考は、おそらくはじめてのことだと思います。1970年代から80年代の水牛を知る人も知らない人も、ぜひ読んでください。福島さんは当時はまだ存在以前(?)でしたが、存在してから、どこにどうひっかかったのか、水牛に興味を持ち、いまでは「水牛通信」を読む、というコーナーまで担当するようになりました。幸か不幸かはともかく、こういうことが「生きている世界」なのだと思います。福島さんはもうすぐパリから帰ってきますので、そのうち投稿が再開されるでしょう。楽しみに待っています。

それでは、来月もまた!(八巻美恵)

2023年2月1日(水)

きょうの東京は3月の気温だったようですが、午後になって外を歩くと北風が強く、とても3月とは思えない寒さでした。気温は温度計で測っただけの数値にすぎず、人間の体が感じるのは数値ではないことを思い知らされます。

「水牛のように」を2023年2月号に更新しました。
半年ぶりに斎藤真理子さんの「編み狂う」が帰ってきました。待っていてくださった人は多いと思います。お待たせしました。これからも続きますからね。商店街のカフェで編んでいる人には声をかけたくなるのかもしれません、ある種のちいさな解放区(斎藤さんによれば「劇場」)がそこにあるから。編み物は糸と針があればできるせいなのか、男性にも好まれていると思います。緻密に編む橋本治、おおざっぱに編む田川律、そして独身時代の津野海太郎も。最近読んだ『キャスリーンとフランク』(クリストファー・イシャウッド 横山貞子訳 新潮社 2022)では、フランクが戦場でだったかな、編み物をするところがあって、感銘を受けました。
この水牛は、だらだらと続けているにすぎないのですが、下窪俊哉さんの編集する『WSマガジン』はあきらかに水牛のなにかを継ぐもののようです。「小さな石を集め、投げ続けることに失敗も成功もない。ただ集め、投げるだけだ。」に共感します。続けてくださいね。
藤井貞和さんの詩集『よく聞きなさい、すぐにここを出るのです。』が読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞しました。不思議な藤井さんの詩を毎月読めるのは水牛のしあわせのひとつです。
篠原恒木さんが編集した片岡義男『僕は珈琲』には、めずらしく実名入りで私も登場しています。片岡さんとの楽しい時間はこれからも。

編み物好きだった田川律さんの訃報が届いて、田川さんとともに過ごしたあれこれをブログに書こうと思いましたが間に合わず。スミマセン、書きますので、しばしお待ちください。

それではまた!(八巻美恵)

2023年1月1日(日)

あけましておめでとうございます。
2023年がどのような年になるのか、あまりよいきざしは見えません。それでもこうして日一日と過ぎていき、新しい年が明けることには少しの明るさがあると感じます。きのうと同じきょうですが、ほんの少し、どこかが明るい。東京は光に満ちた午後です。

「水牛のように」を2023年1月号に更新しました。
植松眞人さんとイリナ・グリゴレさんがゴダールに触れています。イリナさんが大学の教員試験に落ちたことは、確かに彼女にとっては試練だったことでしょう。しかし、ほんとうに試されたのは彼女なのか大学なのか、そこは考えるべきところだと思います。力を持っている側ほど試されているとわたしはいつも感じています。その大学はイリナさんを失ったのですからね。
大学生のころ両親が焼津と静岡にあわせて3年ほど住んでいたので、学校が休みになると実家に行き、静岡から路線バスに乗って御前崎までよく行きました。終点で降りて少し歩くと、海岸に出ます。見渡す限りの海は自分の小ささを単純に思い出させてくれて、その小ささは悪いものではありませんでした。砂漠のように広い砂浜が広がり、反対側には岩場が広がっていて、いつも人はひとりもいないのでした。そう、白い灯台もありました。ただこの光景を一時間くらい見て、またバスに乗って帰ってくる。一日の過ごしかたとしては抜群によかった。しかしあの御前崎にいまは浜岡原発があるのだということを北村周一さんの短歌でいやがうえにも知らされました。2023年もやはりろくな年になりそうもありませんね。

とはいえ、今年も更新できて安堵の元旦です。来月も更新できますように!(八巻美恵)

2022年12月1日(木)

体は寒くなりたてが一番冷えますから朝夕冷える時や急に寒くなった時は手加減をせずにしっかり着込むのが吉です。と、漢方の人におしえてもらいました。寒くなりたての冬に、しっかり着込んであたたかく過ごすことができれば、とりあえず、明日は無事。

「水牛のように」を2022年12月1日号に更新しました。
12月10日(土)15時から、イリナ・グリゴレさんのトークがあります。お相手は寄藤文平さん。『優しい地獄』の装丁者です。
https://akishobo-event-221210.peatix.com/
イリナさんの書く日本語は連載の回をかさねるごとに流暢(?)になってきました。しかし彼女が書く日本語はそこなわれることなく、むしろ魅力を増していると思います。どんな言語であれ、ことばにスピリッツが宿っていれば、それは人々に伝わり広がっていくのだなと感じる2022年でした。

それでは、来年もまた更新できますように! 良い年をお迎えください、とのんきに言うのがためらわれる年末ですが。。。(八巻美恵)

2022年11月1日(火)

なぜか東京は曖昧な天候で過ごしやすい日々が続いています。しかし、明日がどうなるのかは誰にもわかりません。今夜は雨の予報です。

「水牛のように」を2022年11月1日号に更新しました。
編集作業のあいまに執筆者のみなさんの原稿から、ランダムに一節を書き抜いてみました。全員ではありません、これもランダム。短い断片を並べてみると、また別のおもしろさが出てきます。どれがだれが、と想像してみるのも楽しいかもしれませんよ。

「都市を歩くということは、時間旅行なのだ。」
「ちょうど20年前の10月。サダム・フセイン大統領の信任投票が行われ町中が沸き立っていた。サダム・フセインは100%の得票で信任されたのである。」
「本という形の彼を手元に置いて、折々に繰り返し読む(尋ねる)ことができる。」
「木の実。何といっても私にとっての王様はトチの実だ。クリよりも大きいようなつやつやした実が山道や公園や駐車場のわきに落ちているのを見ると、拾わずにはいられない。」
「じっと見ていると、男の子が同じように書棚の間から、こちらを見ていて、『薔薇販売人』と書かれた背表紙越しにこちらをのぞき込んでいるという風情だ。」
「やみやみなやみ/やみあがり」
「11月で休暇を取って、ピアノを弾いているとできなかったことをしたい。知らなかった音楽を見つけて演奏するのにも限界がある。」

コロナによる規制が緩和されたこともあって、遠くから訪ねてくれる友あり、ずっと延期していた会合あり、です。感染者の数というもの、どういう集計をしているのか不明ながら、増えている傾向です。自分でできる対策はしながら過ごしていくよりなさそうですね。生きものは動くからこそ生きているのですから。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年10月1日(土)

10月だというのに、昼間の東京は夏のような温度と湿度でした。盛りの金木犀の香りが似合わなかったけれど、夜になるとさすがに秋の気配がただよいます。来週後半からは寒くなると天気予報は告げています。

「水牛のように」を2022年10月1日号に更新しました。
コロナがいったいどうなっているのか、真相はわかりませんが、人々は移動するようになってきました。それぞれが自分の感覚を大事にして行動するよりなさそうですね。
今月15日に、八巻美恵『水牛のように』がhorobooksから発売になります。詳しい情報は平野公子さんの「ダイヤモンドの指輪」をごらんください。同じタイトルで、わたしも久しぶりにブログを書きました。horobooksは小さな出版社なので、この本はふつうの販売ルートには乗りません。ささやかな本ですが、ご興味があれば、horobooksのサイトからお求めくださるようお願いします。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年9月1日(木)

99年前の関東大震災を思い起こせというように、雷鳴が轟いている夕方、雨が降って、昼間の暑さから急激に涼しくなりました。9月と聞くと、秋だなと思ってしまいますが、今年の9月はどうなるのでしょうか。台風11号は見たことのない動きをしています。

「水牛のように」を2022年9月1日号に更新しました。
コロナウィルスもコロナワクチンと呼ばれているものも、依然としてわからないことだらけです。しかし感染するひとは増えて、しばらく前には知り合いの知り合いだったのが、知り合いにまでせまってきています。西大立目祥子さんの感染と看護と介護の報告を読んで、母と娘のお二人の回復に安堵したと同時に、人は見捨てられて生きているのだという実感を強く持ちました。酷暑の夏でも、これは冬の旅といえるのではないでしょうか。
イリナ・グリゴレさんのはじめての著書『優しい地獄』が出てひと月あまり。刊行を記念して、人類学者の奥野克巳さんとイリナさんとのトークイベントがあります。題して「オートエスノグラフィーの可能性」。明日、9月2日19時からです。楽しみですね。アーカイヴ配信もあるようです。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年8月1日(月)

きょうも暑いねえ、と言うのに飽きてきたのに、まだ八月がはじまったばかりです。四季がめぐる(はずの)ところで生きていれば、いまだけのこととしてガマンできるとは思いますが、それにしても、ここだけではなく、世界のいろんなところで暑さが極まっています。山火事も多いですね。

「水牛のように」を2022年8月1日号に更新しました。
初登場は音楽評論家の小沼純一さんです。といっても、小沼さんは詩人でもあり、三冊の詩集は「水牛の本棚」に収録されています。『し あわせ』『アルベルティーヌ・コンプレックス』『いと、はじまりの』 これらもぜひ読んでみてください。入力など、楽しく作業したことを何年ぶりかで思い出しました。
イリナ・ゴリゴレさんのはじめての著書『優しい地獄』は予定通り、7月末に無事発売となりました。これからの土台となるように、イリナさんの可能性がいくつも読みとれる本になったと思います。イリナさんと亜紀書房と水牛とで、ときには(嫌いな)zoomを使って話し合いながら作ったこの本を、イリナさんは「わたしの本」とは言わず、「わたしたちの本」と呼んでいます。イリナさんの日本語を大切にしたかったので、できるだけ彼女の書いたそのままにしました。水牛の連載とほぼ同じです。それでも、開放的なデジタルテキストからアナログの本になると、一冊としてとじられたことで、イリナさんの日本語の世界がより明確になったのではないか、とあらためて感じます。来月はじめには東京でのトークも予定されていますので、亜紀書房のサイトをチェックしてくださるようお願いします。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年7月1日(金)

こんなに暑い夏のはじまりはさすがに経験したことがありません。暑さや雨の少なさに加えてコロナ感染者数の増加も心配ですが、それでも日々は過ぎていきます。
タイの映像作家として有名なアピチャッポンは、あるインタビューのおしまいに「ただずっと何もしないでいるのがいいんだ。それがぼくのまわりの自然と、この現在とリンクしている」と言っています。考えるのではなく、何もしないで感じるのだ、と熱帯の人におしえられたような気がします。

「水牛のように」を2022年7月1日号に更新しました。
ここ一週間ほどの猛暑のせいか、今月はおやすみします、というメールが何通か届きました。しかたのないことです。杉山洋一さんやアサノタカオさんのように日記をつけている人はこういうときにはとりわけ強いと感じます。もっとも杉山さんはミラノにいるから、この暑さとは関係がなさそうですね。

さて、今月のビッグ・ニュース。7月21日にイリナ・グリゴレさんの本が出ます。『優しい地獄』というタイトルで亜紀書房から発売です。イリナさんと初めて会ったその日に、日本語による彼女の本を作ることが目標として立ち上がりました。数年という時間がかかってしまいましたが、ようやくその責を果たすことができて、うれしいです。一冊にまとまってみると、連載のときとはまた違って、イリナさんのこれまでの生きかたが鮮明になり、より興味深く読むことができます。日本語でなければ書けなかった本です。どうか楽しみに待っていてください。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年6月1日(水)

ただ生きていることが快適な気候のきょう、何もしないでいられれば最高でしたが、そうもいかず。きょうのような美しい日々がもっと続いてほしいものです。

「水牛のように」を2022年6月1日号に更新しました。
今月もひとことやふたことではまとめられない、豊か(=雑多)な内容です。しかも、たとえば、斎藤真理子さんの「編み狂う」は10ヶ月ぶりですし、杉山洋一さんの「しもた屋之噺」は一度も休みなく244回続いているのです。

5月14日に、タイの作家で編集者のワート・ラウィーが急逝したことを知りました。タイ文学研究者の福冨渉さんがワート・ラウィーの「詩とは反逆だ」を追悼のために翻訳・公開しています。そもそもワート・ラウィーは福冨さんの翻訳で知った作家です。ぜひ読んでください、すばらしいです。
https://www.craft.do/s/qcgtWyiyGZsdly

翻訳ともとのタイ語を並べて、じっと見ていると、タイ語のことも少しずつ思い出して、もう少しちゃんと読めるようになりないと思うのです、が。。。

それでは、また来月も更新できますように!(八巻美恵)

2022年5月1日(日)

肌寒い五月のおとずれは、いまの暗い世界にピッタリすぎるとしても、よろこばしくはありません。何もしないで、ただ生きていることが快適な日というものはほとんど失われたといっていいほど少なくなったと思います。生きものとしての人間が快適に過ごせる域は案外せまいものなのかもしれません。

「水牛のように」を2022年5月1日号に更新しました。
いまさらながらのお知らせですが、「水牛のように」のはじめはその月の目次になっています。目次にはタイトルと著者の名前があります。タイトルをクリックすると、その本文が表示されます。著者の名前をクリックすると、その人がこれまで水牛に書いたアーカイヴが表示されます。活用してください。
先月は水牛のことをすっかり忘れていたというアサノさんもアサノさんなら、忙しいのだろうと思って、催促をしなかった私も私です。今月取り上げられているファン・ジョンウン『年年歳歳』はアサノさんが書いているように、ほんとうにすごい小説で、読みだしたら読み終えるまでやめられなくなります。人の名前はすべて姓と名のフルネームで書かれていて、そのせいもあり、たとえば母と娘の超個人的な関係であっても、外に向かって否応なく滲み出ていきます。小説の新しい力を感じました。

それでは、また来月も更新できますように!(八巻美恵)

2022年4月1日(金)

きのう夕方に乗ったバスが、思いがけず、ちょうど満開になりたての桜の花のトンネルの下を通りました。ビックリするほど美しい。その道にある停留所で降りた人はみなスマホを掲げて桜の花を撮っています。見知ったところでも、この日この時のこの花はつい撮りたくなりますね、わかります。帰宅のときには雨が降り始めて、きょうは気温が低いままでしたから、花はだいぶ散ってしまったことでしょう。

「水牛のように」を2022年4月1日号に更新しました。
疫病に戦争に天変地異。いまおきていることは身の回りにせまってくる現象としてはわかっても、なぜこのようなことがおきるのか、そこにはとても複雑になってしまった世界の構造が関係しているせいか、とてもわかりにくいと思います。いったい正解はどこにあるのか? 正解がわかっても、解決はできないところまで来てしまったのかもしれません。でも、満開の桜は美しく、地面に近いところに咲くすみれは可憐で、朝のコーヒーはおいしい。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年3月1日(火)

春三月の訪れは戦争とともに。予想していなかった展開です。予想できなかったのは、のんきすぎるからでしょうか。のんきに生きられる世界であってほしいです。

「水牛のように」を2022年3月1日号に更新しました。
月末の締め切りの少し前にウクライナで戦争が始まってしまったので、今月の原稿にはその影響があると思います。ここであれこれ云々するよりは、直接読んでいただくべきですね。まだ届いていない原稿もありますので、順次追加していきます。数日後に再度のぞいていただくようお願いします。

来月はどんな世界になっているのかわかりませんが、どうか更新できますように!(八巻美恵)

2022年2月1日(火)

きょうは偶然、春節。先月に続いて、明けましておめでとうございます。
とはいえ、世界はおめでたい方向に向かっているとは思えませんね。
1月1日はまだ冬でしたが、あれからひと月が過ぎた旧正月は春を含んでいるのを感じます。

「水牛のように」を2022年2月1日号に更新しました。
今月初登場の篠原恒木さんとは、ともに片岡義男さんの著書を編集していて知り合い、いろんなことを話すようになりました。かつてある有名な女性誌の編集長だった篠原さんはいつもおしゃれな身なりをしていて、お勤めにいくときだってスーツなんぞは着ないのです。でもそんな彼がたびたび職務質問を受けるということはなんとなくわかります。少数派の気配が色濃いので、怪しいというわけではないけれど、どことなく正体不明な感じがありますから。おれも水牛に書きたいな、と言われて、うれしくどうぞと即答しましたが、自分から水牛に書きたいと言うなんて、外見だけでなく中身もやっぱり少数派です。
そして、杉山洋一さんのしもた屋之噺は240回目になりました。おめでとう、と言いたいところですが、記念すべき今回も苦い内容です。これから何年かたって、まだ人類が生き延びていたら、杉山さんの20年にわたる日常の記録は、水牛などはもちろんのこと、杉山さん自身からも自由になって、人びとに届くのかもしれません。

杉山さんと仲宗根浩さんが触れている平井洋さんはわたしにとっても親しい人でした。自分が年齢をかさねるのに比例して、亡くなる人もふえてきます。体がなくなってしまうと、この世に残るのはスピリットだけ。それは物質のようには場所をとらないけれど、美しく積み重なって、わたしを取り囲んでいます。

それでは、来月もまた更新できますように!(八巻美恵)

2022年1月1日(土)

明けましておめでとうございます。
元旦も夜になってしまいましたが、東京の昼間の青空はいつもよりも青く、南側のガラス戸から入ってくる太陽の暖かさを全身に浴びていると、ともあれ幸福です。

「水牛のように」を2022年1月1日号に更新しました。
年が変わる瞬間の前後一日くらいにたくさんの原稿が届きました。明るいのもあり、暗いのもあります。暗い時代がまだまだ続きそうな今年の幕開けです。
水牛にとっての明るい話題は、杉山洋一さんの「しもた屋之噺」が今月は239回ですから、来月には240回を迎えることです。240回は240月で20年です。この間、一度も休みなく、原稿が来るのを当然と思って、水牛の更新も続けて来ました。
ことしは水牛のオフ会をやろう。会って、ことばをかわしましょう!

来月も無事に更新できますように!(八巻美恵)

2021年12月1日(水)

昨夜から夜明けにかけて、嵐のような雨が降りました。冬にあらざるような暖かさをともなってなにやら不穏な感じでした。起きてカレンダーをめくると、ことし最後の一枚です。

「水牛のように」を2021年12月1日号に更新しました。
このひと月、パソコンを新しくしたことやサイトの問題など、主にネットワークに関する試練に見舞われましたが、なんとかみなさんの原稿をアップできたようで、ホッとひといき。自分自身におこるトラブルと、また騒がしくなっているコロナの新型株のニュースと、どちらを向いても落ち着かない日々でした。

先月お知らせするべきだった情報です。
10月にくぼたのぞみさんの新しい本が三冊も出版されました。さすがはJ・M・クッツェーのオタクだと自認するくぼたさん、二冊はクッツェー本です。
『少年時代の写真』(クッツェー著のくぼたさんによる翻訳)
『J・M・クッツェーと真実』(くぼたさんによるJ・M・クッツェー論)
そしてもう一冊は『山羊と水葬』です。これまで「水牛のように」に書いてもらったエッセイがたくさん掲載されていて、とりわけうれしい一冊です。北海道という土地が持っているあれやこれやと、そこで生きている幼いころのくぼたさんの真摯なまなざしは、いまの彼女とおなじです。

それではみなさま、よい年をお迎えください! などと書いてもまるで実感が湧きません。(八巻美恵)

2021年11月1日(月)

衆院選の翌日は曇りから次第に晴れて、午後はあたたかな陽ざしがいっぱいでした。原稿の到着を待つあいだに、徒歩数分の図書館に行き、予約していた『野生のアイリス』(ルイーズ・グリュック 野中美峰訳 KADOKAWA 2021年)を借りてきました。縦長の本のなかの本文は横書きで、もとの詩と訳詞とが向かい合わせになっています。読むのが楽しみです。

「水牛のように」を2021年11月1日号に更新しました。
アフリカキカクの『珈琲焙煎舎の本』は、とても個人的でありながら、閉じていない感じがします。たとえば、「書くことと珈琲は、いつも切り離せない関係にあった。」というふうに。
長谷部千彩さんと久しぶりに会い、しゃべっているうちに、往復書簡みたいなものをやってみようということが決まってしまったのでした。長谷部さんが書くものは「水牛」で、八巻が書くものは、長谷部さんたちのサイト「メモランダム」で、読めるようにすることもふたりで決めました。書くときに、具体的な読者がひとりいることはおもしろいかもしれないと思っています。来月には、長谷部さんへの返信を書いたよ、とお知らせできることを目指します。

ではそろそろワインを飲みながら『野生のアイリス』を開きます。

来月も無事に更新できますように!(八巻美恵)

2021年10月1日(金)

東京の10月は台風をともなってやってきました。きのうまでの予報よりは降らず吹かずで、穏やかですが、ひんやりとした一日です。明日は台風一過で晴れるでしょう。雨と風とがエアロゾルを洗い流し吹き飛ばしてくれることを願います。

「水牛のように」を2021年10月1日号に更新しました。
管啓次郎さんによれば、Water Schoolsは、いずれもいまはなき閖上小学校(名取市)、大川小学校(石巻市)、小河内小学校(奥多摩町)のことです。

出版に携わっている人は、本が売れない、とよく言います。文芸作品で売れるのは賞を取ったものだけ、とも。それは事実でしょう。しかし、アサノタカオさんの読書日記を読むと、本というものが持っている本質的な明るい世界が見えます。大小さまざまな出版社が出す本は、新刊として売られたあとも古書としてどこかにありつづけて、人間よりもはるかに長生きしている。あげられている本のタイトルを検索すれば、ほぼ手に入るはずです。ひとりの人間が目にすることのできる本の数は少ないかもしれないけれど、なにかきっかけがあって求めれば、その本はあり、そこに書かれていることばが新しい世界へと誘ってくれる。自分がいまいるここよりももっと自分に近く感じられるところが遠くにあることもおしえてもくれます。自分の世界はせまくても、広い世界とちゃんとつながっていて、いまいるここを変える力になることをことばが気づかせてくれます。

莊司和子さんが一月前に急逝したことをお知らせしなければなりません。79歳の誕生日の日、胸が痛いと救急搬送されて、その日の夜に病院で亡くなったとのこと。心不全でした。莊司さんはタイ語のエキスパートであり、もう40年ちかく前のことですが、一ヶ月間のタイ語講座を受講したときの先生でした。偶然です。そこからはじまった関係はいままでずっと続いてきました。「水牛のように」の右側にある著者別アーカイブのスラチャイ・ジャンティマトンの翻訳はすべて莊司さんのものです。翻訳はいつだってタイの空気やスラチャイという人の感じがよく出ていました。ほんとうにうまい! ことしになって、そのスラチャイの短編集を一冊の本にまとめようとふたりで相談をしていて、夏にようやく目処がついたところでした。これまでの翻訳を見直し、さらに新作を加えて、というプランも出来上がっていたのです。急死した人は、自分が死んだことがわかるまである程度の時間が必要なのではないか、彼女の魂はまだこのあたりをさまよっているような気がします。和子さん、RIP。

それでは、来月も更新できますように!(八巻美恵)