2020年10月1日(木)

どこからともなく木犀の花の香りがただよってくる10月のはじまり。開花したての新鮮な強い香りです。曇りの日の多いことしの秋ですが、明日の満月は見えるでしょうか。

「水牛のように」を2020年10月1日号に更新しました。
今月はなぜか「お休みします」というメールがいくつか届きました。お目当ての著者の名前がなかったら、どうか来月を楽しみに待っていてください。

先日、ソ連のフェミニズムの研究をしているという人からメールが届きました。
『水牛通信』の1983年5号に掲載された、ソ連のフェミニスト、タチヤーナ・マモーノヴァ氏の「父権的ロシアの女のたたかい」という記事についての問い合わせです。マモーノヴァ氏は現在アメリカ在住で、ご自分の活動をまとめるために本を編集されているのですが、その中にこの記事の一部を転載したいと言っています。」とのことで、もちろん、どうぞ、と返信しました。どんな本になるのか、出来上がったら連絡をいただくことになっています。
1983年といえば、37年も前になりますが、小さな記事がこうして蘇ることもあるのです。
そして、タチヤーナ・マモーノヴァさんは、1979年にレニングラードで初めて地下出版されたフェミニスト雑誌「女性とロシア」の編集長だと自己紹介していますから、彼女の長い活動の歴史が本人によって明らかになるのはすばらしいことだと思います。

それではまた! 来月も更新できますように。(八巻美恵)

2020年9月1日(火)

8月の猛暑はいずこに消えたのか。東京は30℃に届かないままに一日が終わりそうな9月のはじめの日です。沖縄や九州では台風が吹き荒れているようですし、このまますんなりと涼しくなってくれるはずはないと思いつつも、秋を感じ、マスクの苦行からもひととき解放されました。

「水牛のように」を2020年9月1日号に更新しました。
猛暑のときにもみな秋の気配を感じとっているのでした! 繊細というよりは頼もしい感じがします。

先月お知らせしたサントリーサマーフェスティバルのオーケストラスペースをききました。7曲のうち、5曲は世界初演、1曲は50年も前の作品で知らない曲です。1曲はきいたことがあるはずなのですが、いざきいてみると、こんな曲だったっけ、という感じで、知らないも同然。はじめてきく曲は、曲について考えたりするよりも、生成される音を全身でただ浴びるのが楽しいと思います。オーケストラのほかに、ソロ楽器としてマリンバやガムラン、三絃まであり、コロナの影響か、楽器がいつもより距離をとって並んでいるので、音も広がってきこえました。
そういう感じも、そのときその場にいたからこそ。耳でなく体で感じる音でした。
会場では一つおきの席にすわることになっていて、それはそれで快適でしたが、この先どうなるのかな。演奏が終わり、会場を出るときには退席の順番がアナウンスされ、ロビーでは「会話はお控えください」と言われ、暑い外に追い出されてからも、旧知の人たちとしばし歓談。なんとなく別れがたかったのは、困難なときだからこそかもしれません。

今月もお知らせを。
●『騎士の掟』イーサン・ホーク 大久保ゆう訳 Pan Rolling 2020
https://www.panrolling.com/books/ph/ph108.html
水牛での大久保ゆうさんの連載を覚えておられますか? 青空文庫を受け継ぎ、翻訳者としても活躍しています。テキストは本の本質ですが、こんなふうに美しく物質化(?)されることで、より親密になりますね。

●『優しい暴力の時代』チョン・イヒョン 斎藤真理子訳 河出書房新社 2020
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309208046/
「編み狂う」が待たれる斎藤真理子さんですが、次々と出る翻訳や連載などを見ると、編む領域にはなかなか戻ってこられないようです。おそらく書きたいことは蓄積していることでしょう。待ちます。

それではまた。来月も更新できますように。(八巻美恵)

2020年8月1日(土)

東に向いた窓のカーテンを通して入ってくる朝の太陽の光を感じたのはいったい何日ぶりのことでしょうか。東京ははっきりと今日から夏です。夏の太陽が出ていれば、薄い麻のシーツは洗濯して干すと、ほんの1時間くらいでパリッと乾きます。爽快です。

「水牛のように」を2020年8月1日号に更新しました。
毎月欠かさずのみなさんも久しぶりのみなさんも、そして、今月は休みます、と連絡をくださったみなさん、いつも水牛の締め切りを覚えてくださっていて、ありがとうございます。原稿の催促はしないとひとり心に決めたことがこんなに成功する(?)とは思っていませんでした。

久しぶりにお知らせを。
●『〈うた〉起源考』藤井貞和 青土社 2020年6月
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3430
本の背には「『ことば』の起源をめぐる壮大な旅へ」とあります。450ページを超える厚い本ですが、三十章もあるのでひとつひとつの章は案外短くて、おもしろく読んでしまいます。

●サントリーサマーフェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 一柳 慧がひらく
2020 東京アヴァンギャルド宣言

室内楽 XXI-1
8/22(土)18:00開演(17:20開場)ブルーローズ(小ホール)
森 円花:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲「ヤーヌス」(2020)世界初演
カールハインツ・シュトックハウゼン:『クラング―1日の24時間』より 15時間目「オルヴォントン」バリトンと電子音楽のための(2007)日本初演
権代敦彦:『コズミック・セックス』6人の奏者のための(2008)
杉山洋一:五重奏曲「アフリカからの最後のインタビュー」(2013)

バリトン:松平 敬 エレクトロニクス:有馬純寿 フルート:高木綾子 打楽器:神田佳子 ハープ:篠﨑和子 ピアノ:黒田亜樹 ヴァイオリン:山根一仁 チェロ:上野通明 東京現音計画 サントリーホール室内楽アカデミー修了生によるアンサンブル 指揮:杉山洋一

オーケストラ スペース XXI-1
8/26(水) 19:00開演(18:20開場)大ホール
高橋悠治:『鳥も使いか』三絃弾き語りを含む合奏(1993)
山根明季子:『アーケード』オーケストラのための(2020)世界初演
山本和智:『ヴァーチャリティの平原』第2部
iii) 浮かびの二重螺旋木柱列2人のマリンビスト、ガムランアンサンブルとオーケストラのための(2018~19)**世界初演
高橋悠治:『オルフィカ』オーケストラのための(1969)

三絃:本條秀慈郎* マリンバ:西岡まり子/篠田浩美** ガムラングループ・ランバンサリ** 読売日本交響楽団 指揮:杉山洋一

オーケストラ スペース XXI-2

8/30(日)15:00開演(14:20開場)大ホール
川島素晴:管弦楽のためのスタディ「illuminance / juvenile」(2014/20)*世界初演
杉山洋一:『自画像』オーケストラのための(2020)世界初演
一柳 慧:交響曲第11番(2020)世界初演

指揮:鈴木優人/川島素晴* 東京フィルハーモニー交響楽団


最後はおなじみエドゥアルド・ガレアーノ『日々の子どもたち』から

8月1日 地にまします我らが母よ
今日、アンデスの村々では、母なる大地パチャママが盛大な祝宴を開く。
彼女の息子たちはこの果てしなく長い日に踊り、また歌う。そして彼らは母なる大地に、ご馳走であるトウモロコシの一片と、歓びに潤いを与える強い酒を一口差し出す。
彼らは最後に、大地を傷つけていること、搾取したり毒を撒いたりしていることに許しを乞う。地震や霜、旱魃や洪水その他の怒りで罰を与えぬように頭を下げてお祈りする。
これはアメリカ大陸で最も古い信仰である。
マヤのトホラバル族はチアパスで、以下のようにわたしたちの母に挨拶を送っている。

 あなたはわたしたちに豆を与えてくれる
 唐辛子とトルティーヤと一緒にして食べると
 とても美味しい

 あなたはわたしたちにトウモロコシと美味しいコーヒーを与えてくれる
 愛する母よ、
 わたしたちのことをお護りください。
 けしてあなたたちを売り渡したりしませんから。

母の居場所は天上ではない。地中奥深くに住み、そこでわたしたちを待っている。わたしたちに食べ物を与える大地は、いずれわたしたちを呑み込む大地である。

それではまた! 来月も無事に更新できますように(八巻美恵)

2020年7月1日(水)

これまで夏にマスクをすることがなかっただけに、どうにも苦しい、歩いているときなどは特に。たくさんの人が歩いている道は別として、外ではできるだけマスクをはずして歩きます。そして、建物の中に入るときにはマスクをする。建物の中はエアコンがきいていて涼しいので比較的楽ににマスクをかけていられます。

<a href=”http://suigyu.com/2020/07/”>「水牛のように」</a>を2020年7月1日号に更新しました。
否応なくコロナウイルスとともに生きていかなければならない環境でも、こどもは生まれ、大きくなって、そしてやがて命は尽きる。そういう大枠からは逃れられないとして、いまをどのように過ごしていくのか、ある程度はいま生きている自分で決められることだと思います。ある程度であっても、自由は

ここではおなじみ(?)の『日々の子どもたち』(エドゥアルド・ガレアーノ)の7月1日は、「テロリスト、一人減」というタイトルです。
二〇〇八年、アメリカ合衆国政府はネルソン・マンデラを、危険なテロリストのリストから削除することに決めた。
六十年のあいだ、世界で最も信望を集めたアフリカ人は、その不吉な名簿の一人だったのである。

そして、きょうはエリック・サティの命日の95回目の命日でもあります。

来月も無事に更新できますように。

それではまた!(八巻美恵)

2020年6月1日(月)

東京の6月は雨であけました。気温も低く、梅雨が近いことを感じます。明日はまた暑いという予報。暑くて湿度が高いときのマスクはつらそうですね。できるだけ薄くて楽なのを、などと考えていると、マスクをする意味を見失いそうになります。

「水牛のように」を2020年6月1日号に更新しました。
「シリア水牛物語」を読んで、パソコンで検索できることを知ったとき、最初に検索してみたのは水牛という動物についてだったことを思い出しました。しかしほとんどなにもわからないというのが当時の実情でガッカリ。タイでは農耕のために飼われている水牛は家族みんなにかわいがられている農家の財産でもあったことは知っていました。木製の鈴を首にかけられて、歩くたびに乾いた木のいい音がします。鈴はみな違う音がするので、自分の家の水牛の音は聞き分けられる。もうすでに失われた光景かもしれません。
最近、というのは自粛生活の少し前のことですが、水牛のミルクで作ったモッツアレラチーズをはじめて食べたのですが、想像どおりのやさしい味でした。

きょうはBSで映画「タクシードライバー」を見ました。そして、水牛通信でも1980年6月16日に光州について手書き(!)の号外を出したことも思い出しました。当時ともっとも違っているのは通信手段だと、あらためて感じます。

来月も無事に更新できますように。。。

それではまた!(八巻美恵)

2020年5月1日(金)

晴れて急に気温が高くなった今日の東京。マスクをして午後の町を歩くと、光は満ちているし、そこここの庭にも路端にも花々は咲いていて、季節は美しいのでした。人と会わない道ではマスクをはずして歩きます。そうすると花の香りや風の香りが気持ちよい。この先もっと気温が高くなってもマスクは必要そうな状況ですが、顔をなかば覆うことにいつまで耐えられるのか? 先は見えないまま、どう行動することが正解なのかわからない世界を生きる日々です。

「水牛のように」を2020年5月1日号に更新しました。
初登場は映画監督の越川道夫さんです。まだお会いしたことはありません。ツイッターで毎日のように越川さんが投稿する小さな植物や鳥や猫や子どもの写真を見てきました。写真に言葉はほとんどついていないのですが、どのような被写体に興味があるのかわかります。越川さんがつけた「人嫌い」というタイトルがすべてを物語っています。人が嫌いな映画監督、おもしろいですね。

先月も引用した『日々の子どもたち あるいは366篇の世界史』(エドゥアルド・ガレアーノ 久野量一訳 岩波書店 2019)から、今月も5月1日(メーデー)のところを以下に。

五月一日 労働者の日
 協力して飛行する技術とはこういうものだ——一番目に飛ぶ雁は二番目の雁に道を開き、二番目は三番目が飛ぶ準備を整え、三番目が飛ぶときの力が四番目を飛ばし、四番目は五番目を助け、五番目の推進力が六番目の背中を押し、六番目は七番目が飛ぶ風を送ってやる……
 一番目の雁は疲れると、群れの最後尾に回って別の雁に場所を譲り、その雁が、群れが空を飛ぶときに描く例のV字形の頂点に行く。全員が後ろに回ったり先頭を行ったりと入れ替わる。先頭を飛ぶから自分が上級の雁だと思う雁はいないし、最後尾を飛ぶから下級の雁だと思う雁もいない。

来月も無事に更新できますように。

それではまた!(八巻美恵)

2020年4月1日(水)

日曜日の春の本格的な雪にはびっくりしましたが、今日の東京は雨です。あまりにも変わりやすい天候というものも、不穏な世界と無関係ではないのかもしれません。

「水牛のように」を2020年4月1日号に更新しました。
杉山洋一さん、室謙二さんだけでなく、みなコロナウイルスの影響を受けています。わたしの周辺はまだほんの少し呑気さがただよってはいるものの、いまの政府のもとではお先真っ暗ですね。

夜眠る前に『日々の子どもたち あるいは366篇の世界史』(エドゥアルド・ガレアーノ 久野量一訳 岩波書店 2019)を少しずつ読んでいます。昨夜は8月30日「行方不明者(デサパレシードス)の日」。短いので全文をどうぞ。

 行方不明者とは墓のない死者、名前のない墓。
 さらに、
 天然の森
 都会の夜の星
 花の香り
 果物の味
 直筆の手紙
 時間を無駄に過ごせる古いカフェ
 路地のサッカー
 歩く権利
 呼吸する権利
 安定した仕事
 確実な年金
 格子のない家
 鍵のないドア
 共同体の感覚
 そして常識。

来月も無事に更新できますように。

それではまた!(八巻美恵)

2020年3月1日(日)

あたたかな日曜日の夜の空。上弦に近い月が遠くおぼろにかすんでいます。きっと雨になるでしょう。

「水牛のように」を2020年3月1日号に更新しました。
新井卓さんの久しぶりの原稿はうれしかったのですが、それが戸島美喜夫さんの追悼だったことにはまた違う感慨をおぼえました。戸島さんと最後に会ったのは、昨年9月の名古屋でした。そう頻繁ではなかったけれど、会えば必ずお酒を飲んで楽しく語らったことは、ひとつの理想と言ってもいい安定した関係だったと思います。突然の訃報でしたが、それも戸島さんが望んだことだったのだと、少しずつわかるようになってきました。R.I.P.

コロナウィルスの感染拡大を知るほどに、国境というものがあまり意味を持たないことに気づきます。来月の更新のとき、世界はいったいどうなっているのでしょうか。。。

ブログに書きたいことも溜まっています。近いうちに更新しますので、待っていてください。

それではまた!(八巻美恵)

2020年2月1日(土)

立春が近い今日、午後のあたたかい陽射しは窓ガラスを通して部屋をふんわりと暖かくしてくれました。外に出ると、やはり2月らしい冷たい風が吹いていて、おお寒い!

「水牛のように」を2020年2月1日号に更新しました。
「製本かい摘みましては」に書かれているオーディオブックは、カセットテープの時代からたくさん売られていました。ひとりで長いドライヴをするときにかけっぱなしにすると楽しいよ、と言う友人がいて、なるほどと思いましたが、車の免許は持っていないので、そういう機会はありませんでした。目が見えるうちは文字を読むとして、その後の楽しみもたくさんあるわけです。そのときに耳がだいじょうぶかどうか、それは保証の限りではありませんが。。。

カレンダーをめくると、今月は29日まである。いまさらながらに4年に一度やってくる日付をじっと見つめました。そしてオリンピックは中止になりますように。。。

それではまた!(八巻美恵)

2020年1月1日(水)

あけましておめでとうございます。
ことしも水牛をどうぞよろしく!
東京は明るく晴れて、冬の日らしい寒さの元旦です。

「水牛のように」を2020年1月1日号に更新しました。
ことしはねずみの年。「ネズミのいる生活」は富岡三智さんだけでなく、わたしもたくさん経験しています。少し前までは東京でもネズミはふつうに家に住み着いていました。物置の隅や屋根裏に住んでいる彼らは夜になって人間が寝静まると、人間の居住区域に出てきて、食べ物をあさるのでした。朝になって、固形石鹸を齧ったあとを見つけたときには、石鹸を食べたらおなかのなかが泡だらけになるのに、と子供ごころに心配になったものです。屋根裏を忙しそうに走る足音も、そういうものとして、こわいとも思わない暮らしでした。

一年が暮れていき、新しい年を迎える時期には、過ぎた一年をふりかえって、いろんなできごとがあったと少し感慨にふけってみたりしますが、日々というものはすきまなくつながって単純に過ぎてゆくものだと思い直します。スヌーピー曰く「だれにでも未解決の問題はあるもんだよ!}

それではまた!(八巻美恵)

2019年12月1日(日)

淡い陽ざしの冬の日曜日の午後。きょうから十二月というのはホントでしょうか?

「水牛のように」を2019年12月1日号に更新しました。
『大菩薩峠』がちくま文庫で出たときに読んでみようと思ったのは、室謙二さんの影響があったからかもしれません。はじめはストーリーのおもしろさにつられて読み進んでいくのですが、主人公と思っていた机龍之助があまり登場しなくなるころから、これはどういう小説なのかと頭のなかにクエスチョンマークが点滅するようになり、やがて挫折しました。今月の室さんの原稿を読むと、また読んでみようかという気持ちが沸き起こってきます。青空文庫でも公開されていますが、室さんはまず文庫本20冊を買ってしまいなさい、そして残りの人生で3回読むのだ、と言います。さあ、どうしよう。。。

本日、「水牛通信」のPDFを公開しました。まだ完全ではありませんが、残りはぼちぼちと進めていきます。
「水牛通信」の電子化計画をはじめたころは、日本語とアルファベットくらいしかフォントを使えず、また画像も容量や通信速度の問題があったため、テキストのみの公開でした。そんな作業を続けながら、どこかで今日の日が来ることも確信していたのです。PDFを作ってくれたのは福島亮さん、サイトのデザインなどは野口英司さんが担当してくれました。過去のアーカイヴではありますが、読んで楽しんでください。ツッコミどころもありそうな気がします。
福島さんには、この水牛だよりのコーナーで、通信についてあれこれと書いてもらうことになっていて、あ、すでに最初の投稿がされているようです。

もうひとつ、やらなければならないのは水牛楽団の音源を公開することです。来年の目標にしたいと思います。

それではまた! 良い年をお迎えください。(八巻美恵)

強度を持ったことばを——「水牛」を読む (福島 亮)


 2019年12月1日から、水牛のホームページ上で『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』のPDF版が公開される。公開にともない、『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』にかんする文章を「水牛だより」のコーナーでこれから書くことになった。それはこの二つの刊行物に掲載された記事を少しずつ読み、紹介する文章となると思う。とはいえ、紹介するのに必要な知識などないのだから、もとより案内役などできるはずもなく、文章を書くにあたって、ここしばらくどうしようかと悩んでいたし、実は、今も悩んでいる。

 悩んだ時は、これまでの経緯を振り返るとヒントが見つかることがある。だから、少しだけこのPDF公開がどのような出会いによって実現したか書いておこうと思う。僕と「水牛」との出会いは2019年11月の「水牛のように」で触れたとおりで、もともとは「水牛楽団」の活動に関心があって、そこから刊行物の方へと目が向いたのである。『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』は1987年にリブロポートから水牛通信編集委員会編『水牛通信:1978-1987』として本の形になっているのだが、これは数多ある記事から抜粋したものを集めた一種のアンソロジーで、これだけでは『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』の全貌を知ることはできない(それでも、少し大きめの厚手の紙に印刷された『水牛通信:1978-1987』は、子どもの頃読んだ古い雑誌や児童書を思い出させてくれる、僕の大好きな本の一つだ。今では古本でしか手に入らないようだから、こちらもいつかホームページ上で公開できたらと思っている)。どうにか「水牛楽団」の刊行物を読むことはできないだろうか、と思った僕は、2018年7月31日に、水牛ホームページに記載されているメールアドレスに次のようなメールを送ったのである。

「水牛」さま
 
初めまして。
突然メールをお送りしてしまい申し訳ございません。
福島亮と申します。
水牛楽団についておうかがいしたく、メールを書くことにいたしました。
(…)
私はリブロポートから出版された『水牛通信:1978-1987』を読みながら、そこに収録されていないものも読みたいと思いました。
(八巻さんのあとがきによれば、本に収められたのは、100号分の一割弱だそうですが、私は残りの九割も読みたいのです。)

(…)

 今読み返せば厚かましい文面で、これでは返事など来ないのでは、と思われるメールである。が、翌日、8月1日になんと八巻さん本人から返事が来たのである。そこにはこう書いてあった。「水牛通信は各一部しかありませんし、いくつか欠号がありますが、すべてお送りしてもいいですよ。薄い冊子100冊分ですから、小さな段ボール箱ひとつにおさまる分量です。」そして、8月17日、その頃住んでいた三鷹台のアパートに小包が届いた。それは小脇に抱えられるくらいの本当に小さな段ボール箱だった。開けると、整理されたタブロイド新聞と冊子が入っていて、おまけに淡いブルーのインクで書かれたメッセージカードと一緒に『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』(サウダージ・ブックス、2012年)が入っていた。僕は9月4日には日本を離れ、パリに留学することになっていたので、それから大急ぎでお礼のメールを書き、お借りした『水牛 アジア文化隔月号』と『水牛通信』をPDFにした。こうしてPDF化したものが、今インターネットを介して、全世界に届けられる資料なのである。資料は公開される。その資料以上に何か付け加えるものなどあるだろうか?

 最初に述べたように、これから何を書いて良いのかものすごく悩んでいる。いまこうして「水牛」のホームページが読まれている以上、「水牛」は過去のものではないから、どういう気持ちで(しかも「水牛」そのもののサイトで)書いて良いのかよく分からない。確かに、「水牛楽団」としての活動は1985年には終わっている(2001年に出たCD「水牛楽団」に三橋圭介氏が寄せられた解説による。実際には、その後も必要な時は少しだけ演奏したこともあったそうである)。そして、『水牛通信』はその2年後、1987年に通算100号で終刊を迎える。でも、「水牛」は活動の舞台をホームページに移して、こうして今でも活動しているのだ(そう考えると、そもそも「水牛」ってなんだろう、という疑問が出てきてしまうのだが、それについては今は考えないことにしよう)。まだ現役で執筆している作家の伝記を書くことが難しいように、「水牛」について何か論じたり、分析したりすることは、僕にはとても難しい。ただ、『水牛 アジア文化隔月報』や『水牛通信』を読んで強く心を動かされたことだけは本当なのだ。もしも僕に何かを書くことができるとしたら、この本当のことに拠って立つしかないのではないか。どうしようもなく主観的なものかもしれないけれども、読んだ時に僕の頭をガツンと殴ってくるような強度を持った文章をどうにかして誰かと分け合うことはできないだろうか。そういう自問からスタートして、これから少しずつ『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』を読んでいこうと思っている。できれば、僕が読んで、心を動かされた文章をここに書き写すことで、読者に僕の心の動きと、その動きのもとになった文章を届けることができたらうれしい。そして、興味を持ってくれた人が、PDFをどんどん読んでくれたらもっとうれしい。

 強度を持ったことばを手渡すこと、それがこのコーナーで僕が自分に与えたテーマだ。このテーマを教えてくれたのも、じつは「水牛」なのである。『水牛 アジア文化隔月報』創刊号には次のようにある。「『水牛』は市販しませんので、ぜひとも予約購読をお願いします。(中略)アジア各国の文化の動きについて、日本で文化市場向けの商品生産とは無縁に、さまざまなしかたでこころみられつつあるある文化の動きについて、原稿を送ってください。」(8頁)僕もこれから、商品生産とは無縁に、「水牛」を読み、読んだものを誰かに手渡ししたい。

 というわけで、これから散歩でもする気持ちで「水牛」を読み、心動かされたものや、面白いと思ったもの、気になったことなどをここで書いていきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。 (福島 亮)

2019年11月1日(金)

一週間後は立冬なのに、いやに暖かな東京です。

「水牛のように」を2019年11月1日号に更新しました。
当事者にとっては、過ぎたことは過ぎたことで、ふだんはあまり意識することはありません。それを動かしてくれるのはいつも外からのまなざしです。来月公開予定の水牛通信のpdf化は福島亮さんによってもたらされるものです。
「しもた屋之噺」でおなじみの杉山洋一さんは「水牛通信」のころは中学生で、当時もっとも若い読者だったことは何度か書きましたが、福島さんは生まれてもいなかったのです。その福島さんに案内役になってもらって、もう一度「水牛通信」を読んでみようと思っています。次の更新を楽しみに待っていてください。

先月書き忘れたお知らせを。
1月13日、両国シアターχで行われたコンサートのDVDが発売されています。出演は谷川俊太郎、李政美、高橋悠治。三人がそれぞれ朗読と歌とピアノで「平和」のたねを。企画制作は「憲法いいね!の会」300枚限定なので、購入ご希望のかたはメールでお問い合わせください。kenpoiine@uni-factory.jp

それではまた!(八巻美恵)

2019年10月1日(火)

カレンダーを10月にめくってみても、外は少し陰った夏のようです。もう季節はなくなって、暑い日と寒い日があるだけなのかもしれません。今日はコーヒーの日です。

「水牛のように」を2019年10月1日号に更新しました。
朝日カルチャースクールのサイトに、編み狂った結果できあがった赤いセーターを着ている斎藤真理子さんの写真を発見しました。編み上がった主役の「実物」を見ると、原稿がさらに楽しめると思います。
冨岡三智さんが書かれているインドネシアのソロのスタジアムは見たことがあるような気がします。ソロを訪ねたのはもう20年くらい前の一度だけですが、強い印象の街でした。スタジアムを見たような気がするその日、私はインドネシア語しか話さない運転手の隣りの助手席にすわって、走りながらその運転手と話す役割を負っていたのでした。インドネシア語はほんの片言しか話せないのに一日彼とつきあうのです。後部座席には同行の日本人たちがすわっていて、もちろんまったく助けてはくれません。なんとか必要なことを通じあうことに必死で、走りながら見たはずの風景は断片的な記憶にとどまっています。スタジアムもそのひとつだったことを思い出しました。

それではまた!(八巻美恵)

2019年9月1日(日)

そこここに秋の気配は濃厚にあるものの、暑さだけはまだ現役でしっかりと活動中の東京です。今年は夏のはじまりが遅かったでの、終わりも延びるのでしょうか。

「水牛のように」を2019年9月1日号に更新しました。
管啓次郎さんが2017年1月から9月まで連載した『狂狗集』が小さな本になりました。うれしい展開です。この「水牛」ではあまりレイアウトなどに凝ることができませんが、印刷された本では縦書きで句(狗?)ごとに下揃えになっています。好きなレイアウトに固定できるのはやはり魅力があります。「ページをめくるたび、ぼくらの足は軽くなり、心は自由になる!」
大竹昭子さんは「カタリココ」という朗読とトークのイベントを続けていますが、この夏にトークをもとにした〈カタリココ文庫〉の出版をはじめました。創刊号は『高野文子「私」のバラけ方』です。おもしろそうですね。
こうした小さな本にする試みは水牛についてもときどき考えたりはするのです。〈水牛文庫〉ですね。しかし、これまでにみなさんが書いてくれたリソースは膨大といってもいいほどにあるので、さて、どこから手をつけようかというあたりで毎回挫折して今日に至っています。「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られそうですが、まあ、もう少しボーッとしていてもいいのではないかとも思います。そのうちに「やりたい」という人があらわれるかもしれませんから。

それではまた!(八巻美恵)

2019年8月1日(木)

梅雨があける前に台風が来て、ようやく太平洋高気圧に覆われた夏がやってきました。順序がおかしいですね。そして厳しい暑さは夏を楽しむどころではありません。

「水牛のように」を2019年8月1日号に更新しました。
今月から新しい書き手が二人加わりました。「晩年通信」の室謙二さんと「編み狂う」の斎藤真理子さんです。

その昔、生まれて始めてコンピュータ通信というものを経験したのは、室さんの「大海通信」でした。そのホストコンピュータは同潤会江戸川アパートの一室に置かれていて、ある日、見に行ったことがありました。記憶はだいぶあいまいですが、室さんのお姉さんが住んでいた部屋だったのかな。住んでいる人はすでに少なく、中庭から覗いてみた食堂や社交場は半分廃墟のようになっていました。解体されたのは2003年らしいので、私が訪れたのは2000年ごろだったかもしれません。室さんはアメリカで暮らしているので、あまり会う機会はないのですが、こうして水牛に連載してくださることになり、うれしく、また楽しみでもあります。
片岡義男.comの編集者として書いておかねば。「BRUTUS」1981年4月15日号は「片岡義男と一緒に作ったブルータス」という特集号で、今でも人気があります。その編集を担当したのは室さんです。雑誌の最後のページに今と変わらない笑顔の室さんの写真が小さく載っています。

斎藤真理子さんは最近大活躍の韓国語の翻訳者です。しかし彼女と私には文学や編集とは何の関係もない共通の友人がいることもあり、本流を外れてときどき会う機会があります。そんなとき真理子さんはいつもゴージャスな模様編みのセーターを着ています。自分で編む、というだけなら私も編み物は好きですし、そんなに驚きはしませんが、どこか常軌を逸しているところがあると感じるのです。そのことを書いてほしいと思いました。真理子さんによる翻訳などについての文章は他でも読めますが、編み物について読めるのは水牛だけだと思います。

7月にはパリから一時帰国していた福島亮さんと会って、水牛通信電子化計画についてあれこれ相談しました。彼の提案を受けて、リニューアルする予定です。楽しみに待っていてください。

それではまた!(八巻美恵)

2019年7月1日(月)

日本にはもう季節というものはない。あるのは異常気候だけだ、と言ったのは片岡義男さんだったか。かろうじて夏と冬だけはまだありますが、その日々の天候は落ち着かず、冷暖房がそれに拍車をかけていると思います。夏のなかに冬があり、冬のなかに夏がある。衣替えもかんたんにはできませんね。

「水牛のように」を2019年7月1日号に更新しました。
北村周一さんたちの展覧会「絵画の骨」が開催中です。国立の宇フォーラム美術館で7月7日まで。木金土日のみ開館です。北村さんによれば、この美術館は壁も天井も床もすべて灰色なのだそうです。

やってみようか、やってみたいな、と思ったことのどれだけが出来ているのかと、ふと考えることがあります。みなささやかなことですが、もちろん(!)ほとんど出来ていません。朝、いつもより少し早く目を覚まし、でも起き上がらないで、その日最初のコーヒーを飲みながら、達成感のないことを考える時間はいいものです。

それではまた!(八巻美恵)

2019年6月1日(土)

うるわしき五月が、うるわしくもなく去ってゆき、きょうから六月です。どんな六月になるのやら、気候も世界もめちゃくちゃですね。

「水牛のように」を2019年6月1日号に更新しました。
きょうは世田谷美術館で開催されている「ある編集者のユートピア」に行き、水牛の同志である津野海太郎さんのトークを聞いてきました。「ある編集者」とは小野二郎さんのことで、晶文社を始めた人ですから、津野さんのトークは必須だったのです。津野さんの「わっはっは」という豪快な笑い声を味わい、なつかしい人たちにも会えて、楽しい午後でした。
今月は、お休みします、とか、さぼります、というメールがいくつか届いて、いつもより原稿の数は少ないのは五月だからかなと思ってみたり。。。

それではまた!(八巻美恵)

2019年5月1日(水)

まったく偶然のこととはいえ、令和の第一日目が更新の日となってしまいました。5月は快晴が似合うのに、あいにくの雨模様の東京です。そして寒い!

「水牛のように」を2019年5月1日号に更新しました。
イリナ・グリゴレさんの「生き物としての本」は先月に続く後半なので、今月も先頭に置きました。
昨年のおわりに小さな出版社がひっそりと誕生しました。出版舎ジグといいます。イリナさんの日本語で書きたいという望みに寄り添っていこうと思っていた私には、この新しい出版社はイリナさんの望みを推進してくれるところだとすぐにわかったのです。アンテナの感度よし! ですからイリナさんを紹介して、すでにもう連載がスタートしています。「生き物としての本」は2014年に書かれたイリナさんのはじめての文章であり、ジグに掲載されている「マザーツリー」は2019年4月に書かれた、おそらく最新のものだと思います。水牛でもジグでも連載は続きます。楽しみに読み続けてください。
管啓次郎さんの「海を海に」はダブ・ポエトリー。レゲエに乗せて朗読する管さんのライヴにそのうち行ってみたいと思っています。

何か書き残したことがあるような気がしますが、とりあえず、ここまで。

それではまた!(八巻美恵)

2019年4月1日(月)

花は咲いても、寒い寒い。

「水牛のように」を2019年4月1日号に更新しました。
初登場のイリナ・グリゴレさんはルーマニアで生まれ、なにかに導かれるように日本へ来てしまった文化人類学の研究者です。はじめて会ったのは数年前、田中泯さんの公演のときでした。誰に紹介されたわけでもないのに、話しはじめ、それがとてもおもしろかったので、書いてもらわなくてはと思いました。私の隣に「図書」の編集者がいて、彼が「図書」での連載を即決してくれたのは、偶然とはいえ、すばらしい始まりだったと思います。おそらくイリナさんが日本(語)の読者に向けて書いたはじめてのまとまったものだと思い、図書の許可を得て、ここに転載していきます。日本語でないと書けないことがある、とイリナさんは言います。日本語よ、うれしいね。

コートはまだ脱げません。しかしそれもあと一週間くらいでしょう。いったんコートがいらなくなると、すぐに暑く感じるのは例年のこと。あとひと月後は夏かもしれませんね。

それではまた!(八巻美恵)