しもた屋之噺(177)

杉山洋一

今月、何となく夜が長かったような錯覚に陥るのは、大部分の時間を劇場の真っ暗なセットの中で過ごしていたからでしょう。朝から夜まで、ずっと照明を抑えた劇場で稽古していて、いつの間にか陽の落ちるのがすっかり早くなっていたことにも、朝晩の冷え込みがすっかり激しくなっていたのにも、まるで気が付きませんでした。でも毎日使っていた中央駅の野菜ジューススタンドと、ガリバルディ駅のスーパーの生ジュースのメニューには詳しくなりました。あと毎朝フルーツを買っていたレッジョエミリアの劇場周辺の八百屋の場所とか。

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 9月某日 ミラノ自宅
夏の間にすっかり伸びきった庭の芝刈り。一度では到底刈りこめないので、3回ほど繰り返す。三和土にあった庭用のゴム長靴が盗まれている。空き巣に失敗した泥棒の示威行動か。10年以上前に購入した、草臥れ果てた長靴だったのだが。
時差呆けに乗じて、朝は3時に起きて庭に水を撒き、モンタルティの楽譜を広げる。当然午後には眠くなり、気が付くと16時くらいには机に突っ伏していて、自分の鼾で目を覚ます。

 9月某日 ミラノ自宅
Hさんは検査の結果初期の肺ガンで、近く手術を受けることになったと連絡を受ける。庭の刈った芝に緑が戻ってきつつある。Aさんには緑内障との診断。毎日、目薬をさすことになるとのこと。互いにそういう話題が自然に出て来る年齢になってきた。
朝はバナナとヨーグルト、昼はジャガイモを炒めて目玉焼きを乗せて食べる。夜は軽い運動を兼ねて船着場の魚屋まで自転車で出かけ、ミックスフライ。アマトリーチェ震災を揶揄したシャルリー・エブドに、イタリア全体が激昂。その隣に、ニューヨークでゴミを出さない生活を実践する妙齢の記事。どこでも自分専用のガラス容器を持ち歩き、歯磨き粉やシャンプーも自家製。「だってこの方がセクシーだから」と本人がコメントしている。過去の生活様式に戻りつつある不思議。進化とか発展とは何だろうか。

 9月某日 ミラノ自宅
スーパーでハムをスライスして貰っていると、そのおばさんが突然「昔に比べて、あんた言葉が巧くなったわねえ」と話しだして驚く。ここに引っ越してきたのは10年前だが、どう考えても、今の方が当時より言葉が上達しているとは思えない。恐らく当時は子供に何を食べさせてよいか、何をどう頼んで良いのか見当もつかず、途方に暮れつつ注文していたに違いない。あの頃の初々しさが懐かしい。このチーズは子供が食べても消化はいいでしょうか、どのハムは子供が食べても塩辛くないですか、とか尋ねていたのだろう。

 9月某日  ミラノ行き車内
レッジョ・エミリアの劇場に戻るのは一昨年ぶりか。照明のルカも、大道具のウスマンやフィリッポ、大道具責任者のマウロや電気一般をまめまめしく取り仕切るルカやファビオとも10年以上の付き合いで、劇場に足を踏み入れた瞬間から、辺り一面に笑顔が並ぶ。家族のようなもので、自分は彼らに育てて貰った。誰も欠けていないのが嬉しい。自分がすっかり禿げてきたのと同じように、周りの皆も歳を食っていて、互いにそれを見て笑いあう。これから3週間毎日一緒に仕事ができる幸せを思い、その後の喪失感に思いを馳せる。
主役のフランス人ヴォイスパフォーマー・ジョーに合わせて、全員仏語でリハーサル。仏語の上手下手に関わらず、どうせ伊語も仏語も似たもの、という至極強引な論理で皆が押し通す。古来よりラテン語族間での意思の疎通を垣間見る思い。皆で英語を話すとか、ジョーに頑張って伊語を話させようという仮定は一切生じない不思議。

 9月某日 レッジョ行車内
言うまでもなくレッジョ・エミリアは、パルメザンチーズ「パルミジャーノ・レッジャーノ」の本拠地で、郊外にあるチーズやパルマハム製造工場で働く外国人がとても多い。一番新しい統計ではレッジョの人口2割が外国籍だと聞いて驚く。フィリピンや東南アジア諸国からの出稼ぎはもちろん、ロシア、ウクライナ、東欧諸国、アフリカからの移民も多いという。国鉄駅から劇場までの一本道の一つ、レッジャーノチーズ、パルマハム、パルマ牛乳とヨーグルトの大きな自販機が立っているのが印象的。劇場横の食堂で、レッジョ風トリッパと一緒に、ブイヨンにパンの削り節とパルメザンチーズを掛けてトロリとさせた簡単な代用パスタ料理。ブイヨンとチーズの美味しさが際立つ。この地方は本当に食事に恵まれている。

朝10時からの立稽古のため8時過ぎの特急に乗り、丸一日稽古をして、21時過ぎのミラノ行き特急で家路に着く。立稽古でクラウディアが歌手に演出をつけている間は、ひたすら来月ボローニャで初演するカザーレの譜読み。「音楽お願い」と声が掛かると、舞台裏に誂えられたオーケストラピットで、ヴィデオカメラに向かって振る。
白と黒のモノトーン基調のクラウディアの演出はとても美しい。指揮者と演奏家は舞台の後ろで演奏するので、指揮者と歌手は直接アイコンタクトは取れない。だから歌手へのキュー出しは全て、リューバには1、ジョーには2、ニコラスには3という塩梅で数字を決めて行う。
演奏家の立つ裏舞台には、舞台に吊るされた9つの照明を手動で上げ下げするキアラがいる。彼女は舞台を目視しながら照明の綱を操作するので、こちらにもさまざまな演奏の切掛けを出して貰う。彼女は普段は舞台女優だが、まるで巨大なマリオネットのような照明装置を、見事な手さばきで動かしている姿は、モダンダンスを彷彿とさせる。

 9月某日 ミラノ自宅
6月で小学校を修了し、息子が中学に通い出した。最初の二日くらいは家人が学校まで着いて行ったが、程なく一人で路面電車に乗り、学校へ通うようになった。16時半まで授業のあった小学校と反対に、中学の授業は昼過ぎで終わる不思議。小学校は最終学年まで登下校で親の付添いが義務付けられていて過保護なほどだったが、中学に入った途端に一人で電車で登下校となり、落差に親は戸惑いを禁じ得ない。その上、午後にフルートのレッスンがある日など、1時間程、学校近くの喫茶店で軽食を食べながら時間を潰しているというではないか。レッスンを待つ間、校内に残ってはいけない規則があるらしく、どうも解せない。まだ状況が把握出来ずに毎日狐につままれたような心地で、急に大人っぽくなった息子の言葉に従っている。

 9月某日 ミラノ自宅
川島くんから連絡があって、ブソッティの「自動トーノ」を紹介したテレビ番組が無事に放送されたと連絡あり。レッジョの劇場の控室でニコラスとブソッティについて話し込む。今年85歳を迎えるブソッティこそ、イタリアのベルカントオペラの伝統を唯一受継いだイタリアの現代作曲家になるだろう。
公開リハーサル前の1時間休憩で、ヴァイオリンのギドーニと連立って、市庁舎脇のへろへろとした辻にあるパンカルディに出かけた。地元では有名なハムとチーズの店で、持ち帰ることはもちろん、店内で食事を摂ることもできる。ギドーニは、往年のヴァイオリン奏者アルド・フェッラレーゼを愛していて、バッツィーニの協奏曲の他に、マリオ・グアリーノ、ヴぉルフ・フェッラーリ、レスピーギ、マリピエロ、ザンドナイ、ゲディーニ、ダンンブロージオのように、特に、いわゆる80年代の作曲家以降の協奏曲を演奏するのを得意としている。

彼が愛してやまない、恩師、フランコ・グッリの話。彼がどれほど深い人間性を持った演奏家、指導者であったか。どんなに下手な生徒の演奏でも、常に褒めるべき場所を見出し、人前では決して悪い部分については話さずに、人がいなくなったところで、こっそりとこうしたら良い、と教えていたという。指揮が得意ではなかったペトラッシが棒を振って、メンデルスゾーンの協奏曲を演奏した時、オーケストラが合わなくなった瞬間、グッリはわざと調弦が伸びた真似をして演奏を止め、まるで自分の責任だったかのように謝って、冒頭から演奏を始めた。
ギドーニは恩師に演奏家、教師の理想の姿を学んだという。なかなか同じようには出来ないけれど、グッリのようにありたい、と常に心の中で願っていてね。美味しそうなパイを頬張りながら、ギドーニの話は何時までも尽きない。

 9月某日 レッジョ行き車内
昨夜は9時まで練習があって、そのまま自家用車でミラノに帰るチェロのアンドレアの車に乗せて貰い、すっかり話し込む。
1600年代、独奏楽器としてのチェロはボローニャの聖ペトロニオ大聖堂のオーケストラを中心に発展したのだと言う。聖ペトロニオがヨーロッパで特に秀でたオーケストラを抱えていて、そこでドメニコ・ガブリエリやジョゼッペ・イヤッキーニのような優れたチェリスト兼作曲家が輩出されたのだと聞いても、今の聖ペトロニオ大聖堂からは想像すべくもない。恐らく資金難からか、その名だたる名オーケストラが解体されて、腕利きの演奏家たちが職を求めてヨーロッパ中各地の宮廷へ散ってゆき、各地でチェロ作品が生まれるようになったのは、イタリアらしい逸話だ。バッハのチェロ組曲にも、そうした聖ペトロニオで働いていて解雇された音楽家の影がちらほら見えるという。5番の調弦が、聖ペトロニオのオーケストラで使われていた調弦と同じなのは、有名な話なのだと言う。

 9月某日 ミラノ行き車内
市立音楽院の入試にやってきたY君は、もう随分イタリアには通って来ているけれど、最初にイタリアで驚いたのは道で出会う物乞いの姿だったと言う。日本にも物乞いはいる筈だけれど、彼がそう言うのだから恐らく殆ど目立たないのだろう。ホームレスの姿は日本でも見かけましたが、物乞いは見たことがなくて。初めはどう対処してよいか分からなくて、戸惑ってしまって。
その気持ちは少し分かる気がする。子供の頃、街角で出会う軍歌を流す傷痍軍人の姿を、無意識に怖いと思っていた。手足のもげている姿を見るのも辛かったのもあるのだろう。ミラノでは、路面電車や地下鉄に、下半身のない身障者がいざり歩きをして、酒臭い息でお金をせびる姿を見かける。

 9月某日 ミラノ行き車内
モンタルティのオペラ本番。18時からの本番の1時間前から音響チェックのリハーサルがあるので、15時半にレッジョに着くよう家を出て中央駅に着くと、トリノ駅で何者かが線路に侵入し、列車の発着を妨害して今後の目処が立たないと言う。仕方なく目の前の急行に飛び乗ってレッジョに向かうと、丁度音響リハーサルは終わったばかりだった。
それでいざ18時から本番を始めようとしたところ、主役のジョーの携帯電話が控室で盗まれてしまった。舞台監督のダニーロは、まさかジョーに冗談を仕掛けようと、携帯電話を隠したりしていないよね、とあちこちの控室を不安そうに尋ねまわっている。フランスの電話会社に電話を止めてもらい、クレジットカードなども止めてから本番を始めたので、25分開演が遅れた。当然、口の悪い演奏家たちから、ヨーイチの乗った電車は実は遅れてなんかいなかったんだぜ、本当は人知れずここに紛れ込んでいてさあ、と笑い飛ばされる。

 9月某日 ミラノ自宅
野平、西村共作作品譜読み。西村先生のフレーズ感や方向性、音楽の強さは、周りの空間全体にまで影響を及ぼす強さを持っていて、野平さんは、全体空間を規定することから、細部の音の一つ一つにまで意味づけがされてゆく。まるで反対の方向性を持っている気がするのだけれど、寧ろ二人の間には障壁やコンフリクトはない気がする。
作曲で最初に音を置く瞬間には、無意識であれどうであれ何らかの条件付けが成される筈だから、例え別の作曲家から独奏部を与えられたとしても、彼らにとってそれは問題とはならなかったのかも知れない。独奏部に寄り添う、という意味がそれぞれ違ってとても興味深い。西村先生はピアノと一緒にオーケストラが進んでゆく感じ。一方、野平さんはピアノをオーケストラが包み込む感じがする。

 9月某日 ミラノ自宅
一日、市立音楽院入試。韓国からやってきたオペラ指揮者、ローマからやってきたミュージカル作曲家、3歳でイタリア人に養子に入ったルーマニア人ジプシー出身の歌手、ロンドン王立アカデミーでハープを勉強した男の子、部屋探しのため両親と一緒にミラノを訪れた19歳の初々しいサルデーニャ島出身のホルン吹き、何を自分がやりたいか判然とせず、大学の文学部と作曲科も受け、入試に通ったもので人生を選択すると決めたミラノの進学高校を出たばかりの若者。さまざまな境遇のさまざまな音楽家が入試を受けに来た。それぞれの人生の厚みに感動している自分がいる。

 9月某日 ミラノ自宅
今日はこれからボローニャの国立音楽院作曲科高等課程、院生のための授業に出かける。新しい楽譜と向き合う指揮者の姿勢とは、そもそも指揮の役割は何か、など4回に亙って授業する。とパオロに約束はしたものの、頭の中は全く整理出来ていない。音を読むのに必死で、指揮者の姿勢について考えたこともなければ、役割なんぞ考えたこともない。とは流石に言えないので、ともかく楽譜を何冊か携えて、電車の中でメモを取ろう。但し今日は国鉄はストライキらしく、特急も走るのかすら甚だ心もとない。さあどうする行き当たりばったりイタリア生活。

(9月30日ミラノにて)

それは事実

西荻なな

誰かの熱烈なファンになるというのは、割と無縁な人生だ。一人のミュージシャンが好きでライブに通いつめる、とか、アイドルのファンクラブに入るとか、この俳優が出る映画はすべて観る、とか「誰々のファンです」と言える人に半ば羨ましさすら抱いてきた。そう公言しなければならない場面に出くわすと、しどろもどろになる。今現存する同時代人に首ったけになれない、ということは、何か欠如しているのではないだろうか、生きる上での熱量みたいなものが足りてないんじゃないだろうか? とそのつど思う。実際のところ、そうかもしれない。でも人物を軸に追いかける、という追いかけ方でなくとも、「何となくすべてに青いイメージがある」とか「叙情的でないんだけれども、静かに耳を傾けると声が聴こえる」とか、好きなものを寄り集めて振り返ってみると、何か一本筋が通っている気がする、ということは往々にしてある。「何が好きなの?」「どんな男性がタイプ?」みたいな紋切り型の質問につい口を閉ざしてしまうのは、そもそも「好き」を語ることが、その定型に乗らない以上難しいことに思えるし、そもそも好きを語ることって、そんな簡単なことではないだろうとどこかで思っている。そう自己分析してみると自分の職業にも納得がゆくのだが、今回、宇多田ヒカルの新曲の数々を聴いて、ああ、そんな語りが圧倒的にくだらないものだ、と思うほどに揺さぶられてしまった。『Fantom』はすごいアルバムだ。

朝ドラのテーマ曲になっている「花束を君に」だけでなく、「人魚」「真夏の通り雨」などアルバム収録曲に収められている曲の多くが亡くなった母親である藤圭子に向けて歌われたもの、と感じられる。それは大変な最中に書かれたような詩もあれば、もっと月日の経過を経て、昇華された思いのものもある。直接的に吐き出すように思いを吐露したものもあれば、そっと真綿で包んだような優しい一曲も。中でも心打たれたのは「道」「花束を君に」の2曲だ。私信のような形をとりながらも、私信を超えてすべての人に、そして未来に届くものになっている。宇多田ならではの、切ない寂しさをかきたてる翳りも感じられるのだが、メロディも歌詞もその一歩先に歩みだして、しなやかな強さを湛えたものになっている。そこに光を感じた。自分と母を別人格として切り離しながらも、つながりに感謝し、その母の面影を讃える。実在の母はいなくなったけれども、過去に戻ることはできないけれど、でもよりいっそう強く、心の中に、未来に、歌を作り歌う行為の中に母を感じるのだ−ということが歌われていると思う。

「道」の歌詞の中に形を変えてリピートされる「It’s a lonley road.But I’m not alone.そんな気分」「It’s a lonely road.You are every song.それは事実」という歌詞がある。とてもシンプルな歌詞なのに、なんて人生の本質を語ったものだろうと思う。「人生は孤独なもの」と言ったのち、「でも一人じゃない」と思えるまでの距離の長さを考えてしまうと切なく(活動休止期間をも思い)、「そんな気分」と言い添えて軽さを加えるというか、本当は「ひとりじゃない、と言い切れないかもしれないけど、そうかもしれない」という不確定さをポンと添えてかわすあたりが、宇多田らしくて好きだ。そしてその後、「人生は孤独なもの」なのに「あなたはすべての歌」と言えてしまうって本当にすごい。しかも「それは事実」。「一人じゃない」のは「そんな気分」だけど、「あなたはすべての歌」なのは「事実」。

歌を歌うことが藤圭子と宇多田ヒカルをつなぐものだっただろうし、母が藤圭子であるのだから、母の像から逃れ難かった場面も数え切れないほどにあっただろうと思う。でも、「私はあなたといつも共にある」というメッセージを、二人をつなぐ「歌」に変えて「歌う」。それは歌われる数ほどに、every songの中の一つとして彼女の心の中により深く刻まれてゆくのだろうし、彼女の人生が深まると共に母との関係性を深めるものにもなるのだろう。歌が歌になり、そうして道が道になる、と考えるとシンプルなのにその道のりと未来へ続く時間もが内包された息の長い歌詞に思えて、また泣けてしまう。それにしても、「それは事実」には誰がなんといっても、過去がどういうものであっても、そう言い切れるほどに豊かなものなのだ、という母への語りかけに思える。彼女とは同学年ということもあって格別な思いだが、一歩先に行ってしまったことに若干の寂しさを感じつつも、同じ時代に生まれて歌を歌い続けてくれることに励まされる思いだ。

製本かい摘みましては(122)

四釜裕子

山田亮太さんの詩集『オバマ・グーグル』刊行記念のトークショーの中で金澤一志さんが、さらっと、しかし何度かこうおっしゃった。「この詩集のつくりは工芸的で、配慮にあふれている」。8月、oblaat が主催する Support Your Local Poet Meeting  でのことで、こんなこともおっしゃった。「僕はこの中で『みんなの宮下公園』しか読んでいません」「この詩集は読む必要はありません。しかし構造を知る必要がある」。読まずに構造がわかるはずはないのです。金澤さんのこのキザな物言いを頭にループさせたままに、『オバマ・グーグル』に改めて目を通す。一部は「災害対策本部」とタイトルされて、「ユリイカ」のもくじや渋谷の宮下公園で見られた文言から引用した作品などが並び、二部の「オバマ・グーグル」は2009年1月25日17時30分にグーグルで「オバマ」を検索してあらわれた100のウェブページから引用したことばで成り立つ「オバマ・グーグル」一編、三部は「戦意高揚詩」として五編が並ぶ。何度もページをめくるうちに三つのタイトルこそが重要であると思えてきて、二部の「オバマ」はほかの名前、たとえば「シカマ」でもよく、この三行による一編の詩がこの詩集のすべてで、”言葉”という著者による陰謀告発本に見えてきた。

今もってこうして何でもかんでもわざわざ印刷して本にしたくなるのは、むしろ言葉が思わぬところまでばらばらにしかも瞬時に広がりうるようになったからこそ、組み立てた順番や時間や場所を保持した一つのかたまりとして認識してもらいたいからであって、あるいは分解を拒む”言葉”自身が孤立防止策として身体に欲求を与えているのかもしれない。”言葉”らは災害対策本部を作って警戒し、”意思”や”思考”に恐れを与えるいっぽうで、それらに依らず自ら集結して戦意高揚詩となる。”身体”は陰謀に気づくことなくまんまと高揚し、印刷して製本してせっせと運び、美しい本とは内容と外形が揃ってこそだ、読めなければ本ではない、書物の美しさは工芸としてのこと、など語ったりする。”言葉”らは微笑む。かためてモノにしてくれてひと組でも長く残してくれたらそれでいいのだ。読んでもらわなくてけっこうけっこう。酸素もいらんのだし。積ん読本に優しく見守られる秋の午後。

仙台ネイティブのつぶやき(18)ふるまいは伝染る

西大立目祥子

 若いころ、小さな広告制作プロダクションに勤めていたことがあって、駆け出しだったのでよく届け物のお使いに行かされた。届け先は、大手広告代理店の仙台支店とか、地元の中小広告代理店とか、新聞社の広告部局とかいろいろだったけれど、私が目を見張ったのは、靴をはいたまま足をどさりと机にのせ、ふんぞり返るような格好で事務所につめる営業マンたちの姿だった。

「お世話さまです」と近づくと、彼らは首から上だけをこちらに向けて、「ああ、お疲れさん。そこ置いてって」と、応接セットを指差し、すぐ会話に戻る。「お疲れさん」といわれるのはまだいい方で、「ちょっと見せて」と手を伸ばすので持っていったカンプ(デザイン案)を手渡すと、一瞥して「A案、こりゃダメだわ」といってふわりとソファに投げ、「B案、これもちょっとなあ…」といって、またふわり。「C案…ま、使えるとしたらこれか、また連絡するから」と、くるりと背中を向けることもあった。

 何時間かブレーンストーミングをして、コピーライターがうんうん机にかじりついてコピーをひねり出し、デザイナーが夜遅くまで絵を描いて仕上げたカンプだ。「いくら下請けだってあんまりじゃないですか」と、戻ってから上司に訴えたことがある。彼らからみたら、下請けの、零細の、女の子なんて、何段階も下に見えたのだろう。

 でも、もっと驚いたのは、足上げ営業マンの隣で、居住まいを正して机に向かっていた入社してまだ日の浅い若者が、4、5年もたつと、横柄な足上げ男に成り果てることだった。まるでそっくり、ふるまいは伝染る。下請けは足上げで迎えよ、と申し送りしているわけでもないだろうに、同じ態度、同じ対応。集団や組織の中でのふるまい方は、強い伝播力を持っているらしいのだ。

 人様の会社だけではない。私が勤務する会社は、どうも雰囲気がクラいらしかった。親しい付き合いをしていたある女性からの電話に私が出たときのことだ。歯に衣着せぬ物いいのその人はいった。「あなたたちの会社って、何でいつもクライの?電話の応対ぐらい明るくなさいよ」

 そうか…。薄々気づいてはいたけれど、注意されるほどひどいのか。毎日残業に継ぐ残業で、みんな疲れてるからなのかなあ。でも、と思う。注意したその人の事務所をたずねると、あいさつに出てくる誰もがみんな異様と思えるほどに明るい。これはビョーキじゃないか、と感じるほどにハイテンション。もちろん、その人にそんなことをいうことはできなかったけれど。

 集団や組織の中にいると、じぶんたちのふるまいのおかしさに気づくことは難しい。その場の空気がどんなに汚れてよどんでいたとしても、毎日吸っていればそれはあたりまえにそこにあるもの、なくてはならないものになるということなのだろう。

 こんなずいぶん前のことを思い出したのは、最近検査のために訪ねたクリニックが、上から下まで、見渡すかぎり、一様の雰囲気だったからだ。カウンターに座る受付の人は、事務的に名前をよび、にこりともせずに応対する。検査の人も問診票に従って問いかけ、粛々と検査をこなして笑顔になることはない。採血の人も、必要なこと以外何もしゃべらず、質問を口にしたら「それはここではお答えできないので、医師におたずねください」と返してくる。肝心のドクターに同じことをたずねると「ごめんなさい、いまお答えする時間がないんです」という返答。

 待合室で黙りこくって順番を待つ人は、ざっと50人はいるだろうか。入っては出ていく人の数を見ていると、30分で30人をこなしているような印象だ。これだけの患者を診るのだから、おのずと事務的なさばきにもなるのだろう。

 いや、でももう少しやりようはあるはずだ。アイコンタクト、笑顔、明るいあいさつ、不安をやわらげるひと言。一人ひとりのちょっとの踏み出しで、空気は格段に変わるんじゃないのか。たしかに、この空気感の中で、違うトーン、異なるふるまいを繰り出していくのは、なかなか大変なことかもしれないのだけれど。

 小さな集団でさえこうなのだから、大きな組織になったら空気の流れを変え、よいふるまいを生むのはもっと困難をともなうだろう。取り返しのつかない重大事故を起こしながら、何年経っても情報公開が遅れる電力会社、データ改ざんを繰り返す自動車メーカー、だれも責任をとらないまま重大事をねじ曲げていた首都の役所。企業風土とはよくいったものだ。土、水、光、風のような自然環境がその土地の生産性を決めていくように、企業の中で長年にわたり根深く生き続けてきた風土が、その考え方や行動を規定しているのだ。じぶんたちの集団や組織に風穴をあけ、外から内側を見る視点を持たなければ、ふるまいを変えていくことなんてできないに違いない。
 
 ところで、先のクリニックは二度目に行ったら、ずいぶん印象が違った。受付の人の声のトーンが明るくて大きい。それだけで、待合室の雰囲気が少し軽くなった気がする。そのわずかに呼応するのだろうか、看護師さんたちもいくぶんか前より明るい表情のように感じる。となりの診察室からは先生の笑い声が聞こえてきた。一人の変化がだれかの変化を引き出し、それが全体に及んで空気が変わる。なるほどなあ。少しでもいいから変える。きっとそれが大事。

143 旋頭歌15――墓原の透谷に対す

藤井貞和

悪の華腐った土に帰る細菌つかのまの仮眠人生(ひとよ)の花壇に朽ちる
旋頭歌の悪の華きみ呪いの仮面臥し床に石の枕の朽ち果てる脳
透谷の白い肩むさぼる眠りいっとき枕辺に石がおもたく倒れて
もののかずでは―きみすなつりつぶし思えばよ月も―花も―ない墓のなか
こんなにも―安らかでいることのたのしさ透谷の骨の粉末ふりそそぐ肩
ぐっしょりと指の牙爪をぬぐわないからついに溶けだして雫となる焦げ方
朽ちてゆくあたしのからだ塵になるまでこのままに縁の切れめのこの世じゃないか
悪からのまぎれの距離に水がながれて松の琴を風の手が弾く今宵のしらべ
この深い黒ぬりの闇寝静まるころ腐る鶏肉夜声一声するどく最期
ああ何は―ともあれというきもちがうごくふるさとへ帰れるのなら置く泥袋
「一」と「一」とを分離する一撃は―打つ墓原に紺青の小笹がそよぐ
がんえんを融かしてあたしが融ける時間にちいさなぬめり占う人の
いま満ちるがんえん古い複数と新しい黒衣踊れすがたなき亡霊の夜
あれ待てよ肉なきわが身ない季節ないあなめあなめ唱える惨歌
死海文書にいま満ちるあけがたのかばねをぶらりと垂らして塩湖

(透谷さん、苦しかったぼくらはこれからの拷問に耐えられない。もっともっと苦しい透谷さんを思って拷問に耐える。精神の紙ずたずた、黒い動物がどうかしちゃって、夢に見ちゃった愉しかったよ。)

音にならないうちに

高橋悠治

イメージを追うのではなく その時の感じ からだがかすかに動く感覚を覚えておく その感覚は 呼び起こされるたびに おなじイメージを作るとは限らない 決ったイメージを作ることを目標としないで 想像力をあそばせておく こうすれば 固定したイメージを再現する作業にしばられないで おなじ道を通っても 見えてくる景色はいつもちがうかもしれない

演奏や作曲は 決った音の道を辿り その道を作り出す それでも即興から生まれた道は 偶然で不安定だが それを分析して 要素に還元し そこから全体を構成すれば 道は踏み固められる そうしないで もう一つの偶然でそれに応えれば 対話が生まれ それに引き込まれた道は 論理の展開ではなく どこまでも分かれ道が続いて 推測で一つの道を選ぶのはむつかしくなる 楊朱の「多岐亡羊」

一瞬見えたような気がする その感覚が消えないうちに 声にしてみる 外のイメージは 声の感じになって残る 芭蕉「物の見へたるひかり いまだ心にきえざる中にいひとむべし」(赤さうし)

まだ音にならない からだのなかで いくつかの場所がかってにうごくリズムがある そのリズムをわずかに感じながら それを操ろうとはしない 途中で見切りをつけて そこを離れる そうしないと 道ゆく人が立ち寄ることなく 対話も続かない 「われらが心に 念々のほしきままに来たり浮かぶも 心といふもののなきにやあらん」(徒然草235段) 

一つの句を二つに切って 片端を逆に付けてみる この取合せ「行て帰るの心 発句也」(くろさうし) 平安古筆の返し書きは 紙の中ほどからはじめて 途中から前にもどって行外の余白に続ける

伝統の技法をまなんで ちがう領域に持ち出して使えば 曲解もあり 実験でもある 躓きは飛石となる 

蕉風連句の付けと転じを使って 連句は作らない 閉じた世界の構成と管理から歩きだして その歩きの多岐亡羊を 霧のなかに見え隠れする景色をたどってすすむ たちどまらず すこしずつ見慣れないものをいれこんで 

2016年10月1日(土)

水牛だより

きのうはからりと晴れて、新鮮な木星の香りが部屋まで入りこんで、むせかえるようでした。月が変わって、きょうは10月の始まりにはあまりふさわしくないどんよりとした空模様、気温も低めの東京です。

「水牛のように」を2016年10月号に更新しました。
更新のまえには届いた原稿をすべて開いて読みながら、掲載の順番を考えたりします。そのときはいつも、世界は言葉でつくられていくことを感じます。綴られた言葉を読むことで世界を見る。決まりきった毎日の生活のなかで起きる、ふだんと違うことに意識が向くことが多く、それらを書いたり、話したりしたくなります。自分がおどろいたことを人にも伝えたいわけですね。しかし、決まりきったことがらのほうが圧倒的に多いし、それでも毎日が同じわけではないことを思うと、自分ではそういうささいなことをきちんと書けるといいなあと思ったりします。何のためにそんなことを書くの? と問うてみても答えはないのですけれど。。。

きょうは新月で、そしてコーヒーの日でもあるのだそうです。それならばと、毎朝欠かさずに飲むコーヒーを午後にもひとりでもう一杯、楽しみました。八百万の神さまがたが不在のひと月でもありますね。

それではまた!(八巻美恵)